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最近は写真日記。

先生と生徒は立場は違うが場は同じ

 痛いニュースより。

中学2年の女子です。私の学校には,肩についた髪の毛はしばるという校則があります。私は,肩より少し長い位の微妙な長さなので,しばったりしばらなかったりですが,この前先生に,「だいぶ伸びてきたからちゃんとしばりなさい」といわれました。

だけど,せっかく朝アイロンをしてきたのに,髪の毛をしばるとあとが付きます。
それに,うちの学校の女の先生は,みんな髪が長くてもしばっていません。
そのことをお母さんに話したら,「先生と生徒は違うでしょ」といわれましたが,先生は生徒の手本なのに,自分達は校則を守らないのに生徒に守れと言うのはおかしいと思います。

先生や親は,何かと「先生と生徒は違う」といいますが,確かに違うこともあると思うけど,
髪型のことや,職員室にだけコーヒーとかエアコンがあるのが,納得いきません。

みなさんはどう思いますか。

 これを読んでいて驚いたのはコメント欄の反応。大多数が「ルールだから」「立場の違い」「生徒は義務、教師は仕事」「中2病」というコメントで、「それくらいのルールが守れずに社会に出てどうするんだ?」という観点からのものが多い様だ。逆に「教師も生徒と同じ様にすれば説得力がある」とか書いていると叩かれ、正に「お子様」扱いである。
 僕は残念ながら「お子様」の様だ。差別の話しとかmixi読み逃げの釣りの話とか話題になっている中で、この話を持って来てしまう当たり既にお子様なのだが、僕もこの中2女子同様の憤りを感じていた。
 話しは逸れるが、差別に対して発言させて頂くと、職業差別は様々な場所で見受けられる。まず僕の実家が果物屋であったが、そこに関わる数々の人の中に「無意識」的差別が根付いていた。士農工商的な、とでも言えるのだろう。また僕はホスト経験があるが、それに関しても差別的発言は後をたたない。また日本での学生に対する扱いもその部類に入るものだと、僕が感じている。
 mixiに関していえば、釣りにしても、多分そう感じている人々は結構多そうだ。もしくは現実にそういったコミュニティが存在し、それを晒す為の釣りだったのかもしれない。足あと機能が、ユーザーの関係性を高める反面、監視機能としての役割が働き過ぎて、mixi自体の有効性を圧迫している部分はある。
 本題に入る。学校側が生徒に校則を命令する限り、その学校に所属している教師もまたその校則に従うべきだろう。国民が国に憲法を命令し、国は国民に法律を命令する(「国」が曖昧だが、統治権力とでも換言できるだろう)。ちなみに「生徒は義務」というコメントを残した人間がいたが、義務教育の主体は「親」にあり、親が子供に教育を受けさせる義務を負っているだけで、子供が強制されるわけではない。また「教師は仕事」と限定した場合の教師は公務員であり、国に仕えるものとして、やはり憲法、法律の原理と同様に、学校校則の原理も守るべき理由はあげられるだろう。
 正攻法でいけば以上の理由が尤も妥当だと感じるが、残念ながら「学校」という場はある意味聖域でもある。この場合世俗と隔離された場、という意味合いが強いが、地方自治体、教育委員会、そしてPTAなど、あまりにも学校を遮断するシールドが多過ぎて、学校そのものが既に使用者、ここでは生徒とその保護者、にとって実態のない場になりつつある観がある。
 つまりは教師側のコミュニケーション可能領域は教育委員会であり、生徒側にその権限はない。学校、教師側の社会(コミュニケーション可)とは教育委員会を示し、生徒側は世界(コミュニケーション不可)でしかない。教師と生徒の間を保つツールは授業になるが、それを外れた、例えば生活指導においては双方に齟齬を生じることとなる。これはコミュニケーション領域の差異からくる齟齬だが、要するに「言葉が通じない」のである。それぞれが属する社会的価値観を一方的に強制すれば、結果的に支配的になる。僕がいた学校では、そういった関係性を承知している教師と、認識していない教師の間でもコンフリクトがあり、僕は何度か教師の愚痴を聞かされた覚えがある。
 生徒が現状を打破するにはどうしたら良いのか。残念ながら義務教育課程における公立学校での方法を僕は試していないのでわからない。例として僕が高校(私立)の時にとった行動をあげたいと思う。
 僕はほぼ毎朝職員室に呼び出されていた。放送で呼び出されることもあったり、担任から直接呼び出されることもあった。生活指導の担当教師とちょっとした因縁があったからかもしれないが、とにかく僕は生活指導の先生方に目をつけられていた。他の人間であれば許されているちょっとした事でも僕は許されなかった。例えば服装である。校則に従えば、着用して良いセーターに関して、「黒、紺、グレー」と色の規定しかなく、長そでを着る生徒もいれば、ベストを着る生徒もいた。しかし僕がベストを着ていくと、職員室に呼び出され「校則違反だ、脱げ」と脱がされた。また暑かったのでブレザーを脱いで廊下を歩いていると、これまた職員室に呼び出され「校内でブレザーは必ず着ろ。次注意されたら停学だ」と言われた。
 例をあげるとキリがないが、とにかく執拗だったために、流石に僕も行動を起こした。僕は理事長と仲が良かった。納得がいかない旨を告げ、後々に校長との個人面談も行い、その場でも「暑いのに冷房をつけるわけでもなく、上着を脱いだら停学という論理はいかがなものか」と直訴した。結果的にベストだろうが、上着を着用しなかろうが、校内では良くなった。
 学校という場の権力構造はそんなものでしかない。その構造から外れている教師もいるが、それはそれで個別に対応すれば打開策はいくらでもある。コメント欄にある様な「不条理を学ぶため」は詭弁に過ぎない。また「社会に出たら不条理だらけ」も主観的過ぎて、賛成できない。不条理は結局のところ、本人の受け止め方でしかない。何度も書いている様に、今の社会には依拠集団を選べるだけの自由がある。それを選べないのは本人の不自由性だろう。それは結局会社で働いても同じことである。