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最近は写真日記。

家族サービス

 主婦業は家族サービスとは呼ばずに、男女に関わらず会社人が家族と共にイベントを過ごすことをそう呼ぶのだろう。「家族サービスでね」という言葉は照れ隠しなのか、本当に嫌なのかは別としても、そういった言葉で自分の家族に関わるイベントを話題にするのにワンクッション置くという作法が一般的の様だ。この場合のコミュニティのメインは会社にあり、家族の中の自分はサブになっている。僕の場合、会社はメインになりえず、結局のところ労働の等価としての金銭を供給される一つの場でしかない。仕事をしていると「人としての人生の全ての価値観は会社に在る」みたいな人もいるが、他人にその価値観を強制しなければ、それはそれで構わない。
 先月はりんどう湖ファミリー牧場へ。そしてGWの月曜日には上野動物公園に行って来た。多分どちらも初めてである(記憶が定かではない)。よくよく考えてみると家族で遠出というのも初めてで、りんどう湖に至ってはアインも一緒だった。小動物を冷やかし、馬に乗り、竹馬ではしゃぎ、アーチェリーで楽しんだ。お昼は持参のお弁当を食べ、小雨に遭いながらも、家族でゆっくりとした一時を過ごす。ベビーカーを押しながら、アインのリードを握り、奥さんと並んで歩く。まさか自分がそんな時間を過ごすとは思ってもみなかったが、案外と幸福とはそういうものなのかもしれない。
 上野動物園ではパンダ行列を後目に、カピバラ一直線。GWの中で一番の夏日ということで動物達もダラダラである。一番サービス精神旺盛だったのが北極熊。次に爬虫類館のオオサンショウウオである。ちなみにキリンさんのところに辿りつく頃にはジュニアは熟睡。結局14:00過ぎには引き上げて、家の近くでショッピングをして帰宅。恋人とも動物園デートはなかったのに、家族で動物園というのもまたおかしな感覚であった。
 仕事をした結果、家族にそういうサービスができる程の余剰がある、という意味での「家族(特別)サービス」ならばわかる。趣味のための仕事もわかる。つまりは目的のための労働であり、労働には等価の賃金が発生して契約が成立する。それ以外の部分で、例えば自己達成欲が出てくるのは別に仕事だけに付随する価値観ではない。要するに例え趣味を仕事にしたとしても、労働には等価賃金が支払われ、他の部分で欲求が満たされるべきだ。結果的に日常生活以上の娯楽を家族に提供できることを「家族サービス」と呼べるのであれば、サービスを提供する側として、主催者としてしっかりとしたスケジュールが求められるだろう。サービスを「してあげる」わけでも、「しなければならない」わけでもない。主体的にサービスを提供「する」のだ。それを楽しみだと思わないのであれば何もしなければ良い。「してあげてるのだから」と見返りを期待するのもしかりだ。
 要するに僕は自分が楽しみたいからそこに家族を連れて行くだけだ。僕の家族がそれを楽しいと思ってくれるのであれば一石二鳥であるし、あまり行きたくないと思われるのであれば、他の道を考える。一般的にいわれる家族サービスは、結局のところ、僕にとっては「自分サービス」の延長でしかない。今まで1人では行かなかった所、できなかったこと、それらが可能になったという事実が、今まで気がつかなかった無意識のブラインドに光をあててくれる一つの方法なのだろう。