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最近は写真日記。

赤ちゃんポスト

 賛否評論の赤ちゃんポスト。最初に保護されたのは3才児である。なぜ想定外の3才児がポストに預けられたのか。「親が悪い」と言うは容易い。「そんなんだったら産まなければいい」と言うのも一理ある。が、その倫理観は一元的であり、また「子供は実の親が育てるべきだ」の「べきだ」の客観的理由が何に基づくものか不明である。赤ちゃんポスト騒ぎと同時に、乳幼児(1才くらい)の死体が、道路脇にビニール袋に入れられた状態で発見され、犯人である親が逮捕された。「メットインの中に入れて買い物とかパチンコに出かけてて、帰ってきたら、死んでたから捨てた」という。おまけにその乳幼児が発見された日は、その子の2才の誕生日だとか。犯人は21才女性で離婚歴があり、その子は前夫の子供。またその子が遺体として発見された、つまりは亡くなった子供の誕生日に、新しい男性と再婚しておりその再婚相手も犯人としてあげられている。
 事件だけ見れば悲惨であり、子を持つ親としては信じられない事件である。が、実際のところ事件を防げる可能性はあった。事件が起こる直前に犯人である女性は「借金もあり、新しい人と一緒になるから預って欲しい」という連絡を児童相談所に入れている。相談所側は「調査中だった」とコメントしている様だが、死んでしまっては調査中も何もないだろう。こういう場合に相談所の責任問題は追求できるのかも疑問である。
 話しは頭に戻る。要するに3才児を赤ちゃんポストに預けた親にしても、児童相談所等に相談した挙げ句に何の手助けもないまま、切羽詰まって赤ちゃんポストに入れたのではないか。結果的に3才児は保護を受け、親とは離れたものの、生きる可能性は与えられている。例えば「子供は実の親が育てるべきだ」という倫理観から離れ、「人間には生きる権利がある」という倫理観をメインに据えれば、それは正しい選択であると見なすことができる。
 以前書いた様に、産みの親と育ての親が必ずしも同じでなければならない必要性はない。ましてやその適正(殺してしまう程)が無いのであれば、産む人間、育てる人間と別れ、それらを選択できる自由性があっても良いだろう。自分自身、親になってもこの意見は変わらない。また児童相談所の体質を変えるべきだ。何人の親が相談所に助けを求め、また周囲の人間が助けを求めても、救われない命が多過ぎる。お役所仕事では、命は救えないのだ。