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最近は写真日記。

ソフトとハード

 コムスン、NOVAのニュースを見ていて、ソフトとハードのバランスを考えた。今回の事件ではソフト不足が指摘されているが、それに関連して「日本では人材育成が下手糞」という言葉を思い出した。他国に比べて日本はインフラ整備は格段に上手いと言える。停電はあまりないし、水もしっかりと供給される。例えば他にも病院はそこら辺にあるし、警察署・派出所や商店、学校等も十二分に整備されている。問題はそのソフトである(ハード・ソフト・コンテンツの境界線が多少曖昧だが)。
 警察官、教員は猥褻行為で捕まり、食品管理のできない企業に、論文盗用で揺れる大学。厳密に言えば日本は、ハードのコピー精度は高いが、ソフトのアップグレードが徹底されない国なのだろう。ハードが進化してもソフトが追い付かない。PS3がその現状を具現化していると言えるが、サブカルにおいては、ハードにオリジナリティは無くとも、ソフトは充実していると捉えられる。
 ハードは複製できる部分が多いが、ソフトは個体に依るところが大きく代替が効かない。「代替が効かない」と書いたが、一般的に労働力は代替可能と考えられる場合が多い。もしかすると「代替が効いてこその労働力だ」くらいに思う人もいるかも知れない。「人が辞めるのであれば変わりを採用すれば良い」という考え方がその最もたる例か。応用として「時給は上げられないから、その時給で働いてくれる人を他に採用する」とか。要するにハードを至上としているためにソフトは蔑ろである。換言すれば会社が絶対であり、そこで働く人は使い捨て労働力なのだ(かといってそれがワーキングプアと呼ばれる現象の原因とまではいわないし、ワーキングプアの要因はそれ以外にあると思うのだが)。
 企業的な問題以外に、人間的なこともぼんやりと考えた。日本人は長寿である。健康食品や病院設備も十全で、日本人の身体(ハード)は他国民よりも良くメンテナンスされている。結果的に少子高齢化という現象を生んでいるが、短期的労働力ということを考えれば、定年を過ぎてまで職探しを続けるシニア人口は増大している様だ。日本人のソフトはどうだろうか。平均寿命の様に比較対象がなく、また規準を量るためのものがないために難しい問題ではあるが、美しい国作りをしている時点でやはりどうかとも思う。
 話がぼんやりし過ぎた。要するにハードとソフトのバランスが悪過ぎると、コンフリクトを起こす、もしくは前兆無しにフリーズする。どれだけの最新機器を導入しても、使いこなす人間がいなければ宝の持ち腐れだ。またどれだけの店舗、事業所を展開しても、働く人がいなければ機能せずに腐敗する。働く人がいないのは、その労働に見合っただけの賃金が支払われていない可能性が高い。何度も書いていることだが、労働力は賃金と等価でなければならない。ハードを成長させるためだけに資金を使えば、ソフト開発は限定される。下手をすればソフトは衰退、もしくは劣化を辿る一方で、アップグレードされることもなく消えていく。結果的にハードはその機能を活かすことができずに廃棄されることになる。
 ソフトもまた同様だろう。各自でマイナーアップグレードができないソフトであれば、業務に支障をきたす。「仕事がない」とメディアで若年層が訴えることがあるが、訴求できるだけのソフトがあるのかも疑問ではある。もちろんそれだけのソフトを育成できない現代社会だからこそバックアップが必要だという視野も必要ではあるのだが。