apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

私は今日まで生きてみました

 30歳になった。何が変わるわけでも無いが、10年前、5年前、3年前、どの年齢の自分にとっても30歳は未知だった。というより30歳を境に、自分のイメージがまるで浮かばなかった。イメージできない、ということは死んでいるのだろう、まぁその時になればわかる、と思っていた。というのも20代の自分の人生(27歳まで)は10代に描いたイメージ通りではあった。考古学をやり、海外にいる。逆に言えばイメージを現実のものにしたのが20代だった。
 30歳を過ぎる前に自分は死んでいるんではなかろうか、という予想はある程度当を得ている。結婚と家庭を持った事は大きなターニングポイントだ。正にそれまでの自分は死んだ、と表現し得る大事態でもある。結果的にイメージを損なっていた人生のイメージが浮かび上がって来た。自分の人生が続いている、という実感とでも言い換えられるだろうか。
 id:KEN_NAITOの様な正統な研究者道を行くことはできないが、自分なりのやり方で生き抜く道があると思っている。そしてそれは自分にしか実現できないやり方だとも感じている。そう考えればケンケンもまた彼なりのやり方、彼にしか実現できないやり方の結果が今なんだと考えることができるのだ。正統も異端も結局ないのだ。id:laquilaは僕とはまた違ったアプローチをするだろう。それが多様性である、捉えることができれば良いだけの話である。
 30年生きてみた。ケンケンの指摘した通り、30年も良く生きたものだと思う。これからの倍の年齢を生きるのかと思うと眩暈がしそうだが、それを共にする良き伴侶に恵まれたことの意味は大きい。而立の年であり、今までの結果の今である。不惑の年まで10年。とりあえずは10年、生きてみようと思う。コンプレックスとルサンチマンに囚われた20代から、解放の30代へ。「あの頃の僕より、今の方がずっと若いさ」そう毎日思いながら、明日からもこうして生きて行くだろう。