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最近は写真日記。

ベビーカーとセックスレスとメガ文字

 家では産經新聞をとっている。理由は値段のみ。夕刊も要らない。その産經新聞の文字のポイントが上がった。メガ文字と言うらしく、各新聞社や雑誌、本等もポイントを上げる予定だとか。紙面サイズが現状のままで、文字サイズが大きくなればそれだけ文字量が減るわけで、情報の伝達も簡素化するらしい。隠喩とか比喩とか抽象的表現が無くなり、直接的になるのだろうか。まるで携帯メールコミュニケーション。
 先日「JRでベビーカーのマナーキャンペーン実施中」的な記事が掲載されていた。1段1/4位のサイズの記事だった。要するに電車を利用する時はベビーカーを折り畳んで乗りましょうという物だった。至極当然の記事である。どれくらい当然かと言うと、電車に乗る時は車椅子を折り畳んで乗りましょうというくらいに。
 また先週だったか、セックスレス夫婦が4組に1組、20代でも7%がセックスレス、という記事があった。そう言えば政府は少子化対策の中に、セックスレス解決法案とか盛り込んでいるのだろうか。例えばラブホテル保護法とか、保育園付ラブホテル推進とか、子持ち家庭はラブホテル無料とか、ラブホテルに行く夫婦は所得税減税とか。
 一番目は一種の環境管理型権力と見て取れる。新聞の文字サイズが大きくなれば、つられて折込み業者の広告も大きくなる可能性が高い。またそれに合わせて各書籍等にも影響が出るだろう。発行当初の新聞の文字サイズに比べて現状でも大きくなっているし、新書等も初版時代に比べて行間や文字サイズ等変更が見られる。また比喩、隠喩等を排した記事が多くなれば、事実を伝達する分には不便はないが、社説やコラム等は面白味が落ちるのではないだろうか。携帯メールの様に、良くも悪くも新しいコミュニケーション作法が生み出されるのは面白いが、新聞まで絵文字と直接的な短い文章だけになってしまうと物足りないのである。逆に文字数が減った分、推考を重ねた文章が掲載されると考えれば前向きだが、ネット掲載を前提に執筆しているとなると、文字数を減らすために文字サイズを大きくしたんではないのか、と詮索してしまうのである。要するに「3行以上の文章は長文」と捉えられがちなネット対策なんでは無いだろうか、と深読みしてしまうのである。
 ベビーカーキャンペーンは明らかな本末転倒である。間違いなくキャンペーン担当課に乳幼児を子に持つ女性はいない。ベビーカーに乗せたまま電車に乗り込むのはマナー違反である、という理屈はわかる。が、それでは「なぜ、ベビーカーに乗せたまま電車に乗り込むのか」という根本疑問が決定的に欠けている。答は至ってシンプルである。子供を抱いて乗車した所で席が空いていないからだ。揺れる車内で乳幼児を抱いたまま乗車するのと、ベビーカーに乗せたまま乗車するのでは、転落の危険性は後者の方が圧倒的に低い。違いがあるとすれば、スペース的に周囲に迷惑がかかるかかからないか、である。迷惑をかけるべきでない、とするのであれば、優先席に座っている、高齢者でも、障害者でも、妊婦でも乳幼児連れでも「ナイ」人間は即刻席を立つと良い。
 要するにキャンペーンを行うのであれば、ベビーカーのマナーではなく、優先席のマナーを問うべきなのだ。撤去なら撤去でも良い。逆に全ての席を優先席にしても良い。本来であれば全てが優先席であるはずなのだから。優先席だから譲る、のではなく、どの席でも譲るのがマナーなのではないだろうか。
 関連して女性専用車両がある。優先席とは違い、規律訓練型権力が良く行使されている対象だと思う。女性専用車両に間違って乗った男性は「女性の視線が痛い」とか「駅員に注意された」と次の駅で車両を乗り換えることが多いそうだ。歴史の浅い女性専用車両でできることが、なぜ優先席でできないのか不明である。いい加減キャンペーンを通り越して、優先専用車両や男性専用車両を作っても良いだろう。
 セックスレスはどうだろうか。またこの場合のセックスとは何を示しているのだろうか。中折れとか、口内射精とか、最後は手コキでも、良いのか。しかも性的倒錯も適用すれば、正常位だけで終わるセックスは何%なのだろう。変態に関しては先日触れた。性をコントロールするために、例えば優性学や富国強兵を背景に宗教的倫理観を発達させ、統治に利用するというのは規律訓練型権力の行使だと分類できるだろうか。そして家族団欒を強制する建築設計に環境管理型権力を見て取れるのだろう。
 いくらでも深読みすることができるが、少子化対策が重視されるはずの現状、まるで根本解決策がなされないのであれば、税金の無駄遣いを止めて頂ければと思う。要するに少子化対策を奨励しますよ、という政治家は信じないけれど、「立たせよ、国民よ!今こそセックスの時だ」と拳を握りしめる人には一票を。結局そんな隠喩も比喩もない言葉に反応してしまう僕には今の新聞紙面はお似合いなのかもしれない。