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最近は写真日記。

すべてがFになる

【社会】予見どおりになる社会 - MORI LOG ACADEMYより。

 人を使う立場から見ると、単なる「労働力」であれば、誰でも同じであり、人が変わっても問題はない。むしろ、新しくなった方が都合が良かったり、バイトの人間の方がリスクがない、という利点は大きい。一方で、仕事はそういった「労働」ばかりではない。人はノウハウを蓄積する器だ。文字どおり「人を育てる」ことが仕事のうちでもあり、これを無視するわけにはいかない。
 安い賃金の労働力が得られることと、ノウハウを持った人間が高い賃金を求めて逃げていくこと。この2つが、完全に定着したのが、その後の20年間だったと思う。トータルとして、安いものが作れるようになったけれど、ノウハウが蓄積しにくく、企業の技術力は衰えたかに見える。ワーキングプアなど、心配されたことも、予想どおり顕在化している。

 「安い賃金の労働力が得られることと、ノウハウを持った人間が高い賃金を求めて逃げていくこと」に今さら気が付いて、正社員登用を促しているが、既にノウハウを蓄積された人材はそれなりの場所に移っている事が多々ある。また正社員登用された所で、時給換算をして割に合わなければ同じことでもあるが、基本給与以外の待遇で妥協できれば良いだけの話でもある。
 90年代に始まったリストラ。日本でのリストラは組織再編がメインではなく、人員削減に重きが置かれている。ソフトを活かすためにハードを再編成するのが目的だったリストラが、ここハード至上の日本では逆転してしまった。結果的に、安易に人員縮小=経費削減と捉えられ、企業側はソフトのストックを、特に正規雇用者を減らすことを良しとする傾向にあった様だ。ソフトは代替可能商品と考えられ、非正規雇用が労働主力となった。未だに日本ではハード至上が常識となっているが、Novaやコムスン(GWG)に代表される様に、少しずつその綻びが出始めている。
 ハードとソフトという言葉のみで労働市場を語るには舌足らずになるが、ソフトこそが代替不可能であり、ハードは代替可能である。実際WindowsというPCは存在しない。あるのはWindowsというソフトである。が、MacというPCは存在する(した)。リストラのあるべき姿は、現在のMacの様にハードを再編する所に意味があるのだ。人材は人財だと言われるが、安価な労働力を有効に活用するためには根本となる人財がシステムを構築しなければならない。システムはアップデートが継続されてこそ安定を手に入れるが、そのノウハウが蓄積された人財が無ければシステムは停滞し、流動的な市場に遅れを取ることになる。人を使う、とはその適材適所を見抜くことが全てだとも言えるだろう。
 労働力は代替可能であり、また安価に提供されている。逆に人財は貯蓄されず、人事部の仕事は人手不足の応急処置に始終する。消費社会は労働力でさえファーストフード化してしまう。ファーストフードばかり食べ続けたら人はどうなるのだろうか。そういうデータがあるのかわからないが、早死にという言葉が似合いそうな食生活ではある。

 予想されているのに、手を打たなかったところは、「でも、そのときはしかたがなかった」「いずれなんとか好転するだろう、と思った」と語る。僕が見るかぎり、社会の問題というのは、起こって初めて気づく、というようなものはほとんどなく、必ず何年もまえにそうなることが予見されている。少数の人が予兆から未来を予測して警告する。大多数は「今と過去」しか見ていないので、警告は聞き入れられず、したがって予見のとおりになる。

 すべてがファーストフードになる、という言葉が収まりが良さそうである。