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最近は写真日記。

愚民に叡智を授けてから言え

 スタッフを10数人抱えている。少数ながら所内では制作部として独立した動きをしている。営業部と混在した部署で、総勢50人弱。自分のスタッフだけ管理すれば良いわけでもなく、所内緊急連絡網を見る限り制作部に伴うパートさんの業務上の管理も任されている。自分のスタッフは人事、業務上の指揮命令権を持っているが、パートさんに関しては人事権はない、ということである。
 人を管理する立場に立ち、シャア・アズナブルの「ならば、今すぐ愚民ども全てに叡智を授けてみせろ」という言葉を何度となく思い出す。ニュータイプ故のオールドタイプに対するジレンマ、という意味ではないところで。
 集団と集団を合わせ、一つの組織にする。もしくは一つの組織をそれぞれの集団に分けて管理した場合。組織を腐敗させないために〈この前提さえ不透明さがあるが〉、集団は他集団を監視することになり、結果的にその視線を内面化させる〈規律訓練型権力〉。この過程で人員が入れ代わったり、組織変更が起こると規律訓練を再度行うのだが、上手く運用されないと集団同士でコンフリクトを起す可能性がある。
 その際、各集団の管理者が会議等を行うのが一般的だが、自分の管理集団を棚に上げて意見されると、やはり良いものではない。そういった事例が連続して起こるとシャアの言葉を吐きたくなるのだ。「ならば、今すぐあんたの所のスタッフ全員に叡智を授けてみろよ。それができるんなら…」と。
 要するにこれは愚痴である。シャアの言葉も管理者の愚痴ではなかったのか。ネオ・ジオンとしての行動を否定され、おまけに自分も否定される。「否定や文句ばっかり言ってないで、まずは貴様に従う愚民に叡智を授けてから、他人にぶつかれよ」という愚痴の様な気がしてならないのだ。
 他人を否定して自分を肯定する。他人依存故の自分、奴隷依存故の主人みたいなものなのだ、それは。人を管理する立場として、敵がいなくなったら、次は何を敵にするのだろう。何を仮想敵国とするのだろうか。管理職、というのはそういう事象がリアルに見え隠れする立場なのだろう。そういうことを体験できただけ、良い勉強になった、とするのが今後のためである。