apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

股間は風呂敷で、僕はとろサーモン

 3年前、イタリアで出会った時は、やっと大学生活にも成れて来ました、という初々しい雰囲気だった20才の青年が、今では大学を無事卒業し、難無く日本を代表する大手技術系企業に就職、研修の為に東京に滞在していた。青年の名前はTAMA。3年前の2005年、イタリアに留学中の先輩、チャー君を訪ねて来た時、僕らは共に旅行をした。その行程は以下で。
シエナ・フィレンツェ小旅行 feat. チャー&TAMA
ミラノへ555! feat. チャー&TAMA 前編
ミラノへ555! feat. チャー&TAMA 中編
ミラノへ555! feat. チャー&TAMA 後編
 ちなみにその時、チャーくん、TAMAと共にした「友人」が今の僕の奥さんである。
 待ち合わせは土曜日の午後4:30。当初は4:00だったが、時間の調整が付かずこちらの都合に合わせてもらった。現れた青年は思い出の中より、若干痩せ、引き締まった顔をしていた。目元も以前に比べてキツくなり成長が伺えたが、相変わらず人の良さが滲み出た微笑みをたたえていた。「ご無沙汰しております」そういってTAMAは頭を下げ、次の瞬間にはジュニアを笑わせていた。どうやら彼はしっかり時間通りに着いて、4:30まで時間を潰していた様子だったが、そんなことにはまるで言及しない辺は相変わらずである。
 近場で見るべき所もあまりないので、とりあえず武蔵一宮に連れていった。公園を散歩しながら、近況を報告しあう。仕事の研修も半分終わり、再来月には配属先が決まると言う。本社は東京にあるらしいが、配属先の可能性は日本全国というから気が気じゃないだろう。
 僕らは参拝を済ましお神籤を引いた。結果は吉ばかり。悪すぎず、良すぎず。日暮れも近かったので帰路へ。帰り際にアインの散歩を済ませる。アインの散歩をしている最中でも、ベビーカーを押す奥さんを気遣ったり、車道にジュニアたちが飛び出さない様に気遣ったりと、親以上に親としての行動を心得ているTAMAだった。
 帰りの車の中で「風呂敷って完璧に股間だよね」と意味不明の一文を奥さんが言い放った。僕とTAMAの頭の上にはクエスチョンマークがクルクルと回っていたに違いない。次の瞬間には奥さんが言わんとしていることがわかったが、相変わらずTAMAはきょとんとしていた。意地悪心で僕は確認した。「風呂敷って何かわかる?」「うん。あれでしょ、股間に巻くやつ」何でそんな当たり前の事を聞くの?という顔で奥さんが答える。「それ、風呂敷じゃなくて、ふんどしでしょ?褌」そういうとTAMAは「ああ…」と頷いていたが、助手席に座る奥さんはハッとして、「…そう、それ。…ふんどし…。でも!似ているでしょ?風呂敷とふんどし」と開き直っていた。
 自宅に着くと一人暮らしをしているTAMAに、奥さんが手料理を振る舞う。TAMATAMAで、ジュニアたちにと2人分のプレゼントと、僕らへの手土産まで携えていた。何と言うか、何から何まで気遣いが行き届いていて、企業研修の必要も無く、直ぐにでも就業できるんじゃないかって程の自然な振る舞いだった。逆に僕の方が、見習うべき点が多々あって、どうしたらこういう好青年に育つのか、その秘訣を知りたくなった。何よりもちびジュニアの懐き様は尋常ではなかった。ママっ子のはずのちびジュニアが、泣く事も無くTAMAに抱かれ、キャッキャッと楽しそうにTAMAの顔を触っている。ちなみに僕が抱っこしても泣きわめくだけで、完全に父親失格である。
 そしてもちろんそんな好青年の秘訣につっこむ事も無く、食事中はTAMAの彼女の話になった。彼には大学在学中、木村カエラ似の彼女がいた。しかも看護師である。結果的に別れてしまったのだが、その原因に笑えて、つっこまざるを得なかった。「そういうのってやりマンなんですかね?」TAMAが恥ずかしそうに聞いた。どうもその彼女の話を聞く限り、やりマンとしか思えない様な言動である。挙げ句に最後は性病にまでかかっていたそうだ。看護師で性病というだけで笑えるが、その相手が同僚の医師とか患者というから、医療業界オワタwwwと爆笑してしまった。院内感染とは正に、という感じである。職場で出会いを求めている辺が、また救い様がなくて、人の元彼女ながらつっこみまくってしまった。おまけに別れた後にちょくちょく彼女はメールを送ってきていたらしいが、「うざったいので、最後は喧嘩別れっぽくなってしまいました」とTAMAも怒ったりするのかと、微笑ましかった。
 現在では既に新しい彼女がいるTAMA。明らかにモテキャラなのに「キスとかセックスとか、つき合う前に、そういう事できるわけないじゃないですか」と正統派っぷりも相変わらずである。今の彼女とはつき合って間もないということだが、見せてもらった写真には幸せそうな2人が写っていた。
 そしてジュニアたちを先に寝かせ、久々に夜中まで話をした。コンタクトを外し、メガネをかけた僕を見て「横顔がとろサーモンに見えて仕方が無い」と急にTAMAが笑いはじめた。「とろサーモン」という名前を聞いたことはあったがイメージがわかなかったので、とりあえずヨウツベ。流れた動画を見て一番最初に爆笑したのは奥さんだった。「あはっwwっw言いたいことはwwっっwわかるwww」その後とろサーモンのコントに爆笑し、夜中の変なテンションにやられ、僕を見てはニヤニヤするTAMAと奥さんだった。そうして「もちろんとろサーモンよりは全然ain_edさんがイケてますwwっっw」とTAMAが最後にフォローにならないフォローを残して、僕らは眠りについたのだった。
 次の日、睡眠十分のジュニアたちに早朝から起され、朝食を食べる。少しして奥さんの姉さんが合流して、昼食も共にした。ちなみに昼食は僕の手作りアラビアータである。辛いものが苦手のTAMAも頑張って平らげてくれた。
 姉さんの会社にも新卒が配属されたらしいが「こんな初々しくて、できたイケメンはいないわ」と勝手に興奮した挙げ句に、「じゃあ、ライブに行って来るね。倖田來未の」とテンションを保ったまま出かけていった。
 昼寝をしているジュニアたちが起きるのを待って、TAMAを駅まで送る。いつもの事だが、何故かチャーくんやTAMAとの別れは切なく感じる。今回は車の中から彼の後ろ姿を見送ったが、TAMAの居なくなった車内は静まり返ってしまった。ちびジュニアもチャイルドシートの中で何度も首を左右に動かしTAMAを探している様子だった。「なんでだろうね?いつも何となく寂しく感じるのは」そう呟いた奥さんの表情は、3年前ミラノから帰る時に見せたそれに似ていた。
 毎回センチメンタリズムを感じる理由ははっきりとはわからない。そもそも僕が感じているものと、奥さんが感じているものはそれぞれ違うものかもしれない。強引に理由を探れば多分僕らの出会いまで遡らなければならないだろう。僕らはイタリアで出会った。僕は考古学の為に。チャーくんはサッカーの為に。TAMAはチャーくんを訪ねて。奥さんは一番上の姉さんと旅行で。バックグラウンドがまるで違う4人が、偶然に偶然が重なり行動を共にすることになった。僕らが共有できる時間は最初から有限だった。1週間もなかっただろう。それでもほぼ毎日行動を共にし、色々な街を歩いた。誰も口にはしなかったが、当時の僕らは日本で再会する可能性が低かった。何より再会したとしてもその関係性が壊れているんじゃないだろうか、という危惧があった。つまるところその関係性は僕と奥さんを示しており、何より当の本人たちにその関係性の継続に疑いがあった。「日本に帰ったらまるで他人」そうなってしまわない様に、そうじゃない今を楽しめる様に、その今が終わらない様に。僕らはただ一緒に居られるその時間を、何よりも大切に感じたんだと思う。
 換言すればそれはノスタルジアのフラッシュバックと捉えられるだろう。今でもその時の関係性の儚さが蘇って、未だに別れを寂しく感じるのだ。もうそんな危険性に捕われる必要性はないのに。今でもその出会いの偶然性に、その関係性に愛おしさを感じてしまうのだ。次回がいつになるかわからない。また3年後かもしれないし、下手したら10年後かもしれない。もしかしたら死ぬまで会えないかもしれない。一期一会を寂しく思うのは、僕にしては珍しい出来事でもある。
 今ではチャーくんにもTAMAにも良き彼女がいる。もう少しすれば良き伴侶となるのだろう(か?)。是非とも次会う時は8人以上で会いたいものである。もちろん僕らに後2人の子供が産まれてから、という意味ではない。