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最近は写真日記。

浦和レッズのサッカーと、ファンとかサポートのマナーは別物

現場にいた川崎サポーターだが、浦和の起こした事件の真相を書くよを読んで、サッカー政治のぶつかり合いは別として、浦和レッズファンに対する職員の対応はやはり問題であり、最近(2年前)埼玉に引っ越してきた者として改善して欲しい部分でもある。
 レッズファンのマナーの悪さはスタジアム内だけの話ではない。ブクマにあるように、サッカーなんだから殴り合いとかしても良いじゃん、とあるが、スタジアム内だけで完結してくれれば良いが、レッズファンは街でも騒ぐし、サッカーに関係の無い人まで迷惑をかける(現に僕は迷惑をかけられたわけで)。
 職員にしても警察にしても、例えばイオンの警備員にしても、「レッズファンだから」で許してしまっている部分が何よりもおかしいのだ。確かにレッズファンのおかげで浦和には経済効果があるかもしれないが、それ以外の人々を蔑ろにしている、ということでもある。浦和の数字を知らないが、レッズが浦和の全てを支えているのであれば、それ以外の人々が軽視される可能性はある(善悪ではなく可能性として)が、実際のところどうなんだろうか。例えばサッカー王国として有名な静岡の状況はどうだろう。阪神ファンは人を傷つけたり、人を妨害したり、それが具体化する程マナーが悪いだろうか。否、問題はやはりそういうところにないのだ。埼玉県の県庁所在地として、さいたま市浦和区として、しっかりとした対応をするべきだ。同じ市に住む人間として迷惑をしていることは事実だ。僕はサッカーは好きだが、他チームに対して排他的になる感情がわからない。それはサッカー好きではなく、レッズ好きというある種、宗教的なものだ。ファンというものは少なからず宗教的信者としての意味を含んでいるのだろうが、そこまで宗教的役割を担うのであればサッカー団体ではなく宗教団体として成立した方が自然である(そうあれ、という意ではなく、「サッカーが好きだからレッズファンじゃなくて、レッズが好きだからレッズファン」という意味付けでありながら、他人を傷つけることを厭わないのであれば)。
 こういうことが起こると「一部の人たちによって」と範囲が限定され、まるで他人事の様に片付けられることがある。飛躍し過ぎるかもしれないが、戦争は一部の人たちによって始められ、全体に戦争は強制され、最終的な責任は全体化する。根源となる「一部の人たち」を止められない結果、重大な事態を引き起こすのだ。レッズの騒ぎがメディアに取り上げられるのは今に始まったことではない。繰り返すが僕が憤っているのは、その警備態勢だ。イタリアに住んでいたとき、何度となくスタジアムに行った。物々しい警備態勢の中でサッカー観戦をし、物々しい警備の中、帰路に付いた。スタジアムの至る所に防護服と警棒を持った警備が配置され、ジュラルミンの盾は標準装備だった。そのおかげで中田の試合も、俊輔の試合も、アウェーでありながら安心して見ることができた。
 さいたま市浦和区は同様のことが起こらない様、最善の策を講じるべきだ。もしくは埼玉県警がしっかりと対応するべきだ。起こっているのは「浦和サポーターの騒ぎ」ではなく、傷害事件である。サッカー協会だけの問題ではなく、さいたま市としての治安の問題でもあるのだから。「一部の人たち」を作り出さないことが、先決なのではなかろうか。そしてそれはもちろんレッズだけの問題に限らず、今まで「一部の人たち」という言葉が繰り返された問題全てに当てはまるのではないだろうか。