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最近は写真日記。

リスク管理と不確実性

 「あなたはユニークな他者を求めるのよ。逆にid:laquilaは代替他者を求めるの」一言で表現すればそういう意味だった。先日の奥さんとの食事中の会話である。「あなたは結婚をした。家庭を持った。それがホームになっている。そのホームをベースにして考古学に携われれば良いとは思っている。laquilaくんもそうなんだけれど、結婚しないと思う。色々なコミュニティを入れ換えて、それこそ考古学で食べて行こうとは多分全く考えていない。ケンケンはどちらも両立をしているけれど、laiquilaくんタイプではないかな。だって、しっかり結婚を考えているし。個人的にkojiさんはlaquilaくんよりもっとモテても良いと思っているけれど」話題は研究と結婚であった。
 「だからあなたはそれなりにリスク配分型のつもりでも、laquilaくんの方がよりリスク配分型なのよ」背景には現状と今後の進路がある。laquilaは堅実で、今の職からビジネススキルを特化させ様と考え、結果的に考古学に還元しようとしている。逆に僕は今の職場でも「まぁクビになったらクビになったで」というスタンスで提案書を提出し、自分の部署のみならず会社全体に波紋を呼んでいて、処遇?(詳細はまた後日)が不明な状態でもある。その部分だけ抽出すると確率分布をしっかりと描いているのはlaquilaであり、僕は不確実性に入り込んでいる。
 「どちらも考古学を柱にしているんだけれどね、人生に対して、というか生活、というものに関してのリスク管理の方法はまるで違うのよ。というより、あなたは相変わらず無計画なの。家族というか、理解してくれる唯一の人と、考古学あれば良いと思っているの」そういうことを指摘された(いつもなのだが)。言い方を変えれば僕はセカイ系体質ということだ。ロマンチストだからしょうがないのだろう。
 そんな折に
 価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない
 たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない
 の二つを読んだ。どちらもアカデミアに関するもので、上段はあり方、下段は現実である。個人的に上段に関しては、大学に入る前に培う意識だと思っている。全入学と言われるけれど、学問主体で研究に通じるのが大学の存在意義だと思っているので、人間形成を主体に置かれて学問を蔑ろにする、という現状は学問の商業化の結果だと考えている。下段は明らかに大学の閉鎖性から生じた誤解である。それは「大学院に行って博士を取れば、一般のビジネスマンより稼げるし、生活も安定する、ことが『約束されている』」という誤解である。文化系大学院からすれば以前から当たり前になっている話しが、理化学系にまで及んだと思うくらいで、別に今さら(今をいつにするかがも問題ではあるが)始まったことではない。
 つまり何に言及したいのかと言うと、結局は自分の目的と方法の最適化と、そのリスク管理ができているかどうかが、学問だろうがビジネスだろうがサバイブしていく為の必須課題だろう、と。逆にそれさえできてしまえば、学問だろうがビジネスだろうが、フィールドが違っても人生はどうにでもなる、ということだろう。経営同様に、人生は不確実である。が、一つだけ確率を自分でコントロールできるものがある。自分の行動、それである。右に行く、と決めるのは自分である。左に行く、と決めるのも自分である。問題は行った瞬間に事故(良くも悪くも)にあったり、何もなかったりするだけだ。そのリスクをどう管理するか、自分の行動に確率分布が描ける様に「なる」にはどうすれば良いか、それがある意味全てだと思っている。