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最近は写真日記。

容疑者Xの献身、崖の上のポニョ、エウレカセブン

 まずは容疑者X。テレビシリーズとは趣が異なり、その雰囲気は一言で表すれば重いものである。間違いなく(これは自分は、絶対的に、という意味合いで)、テレビシリーズの延長線上で映画館に出向いた人でないと、退屈に感じる部類の映画である。言い換えれば、脚本は良いが、演出がかったるい、ということである。もっと言えばこの映画からガリレオシリーズに入ると、テレビシリーズはパラレルでしかなくなる。
 実際の所、僕は原作を読んでいない。東野圭吾の作品を一つも読んでいないのである。容疑者Xが出た頃、森博嗣以上に面白いとは思えなかったから、という理由である。
 映画の感想だが、堤真一の演技が一番の見所である。湯川に「天才」と称される程の論理的思考の持ち主の苦悩をしっかりと見せている。何よりその天才的な論理的思考が破綻した瞬間の、最後の「なんで、どうして」と泣き崩れる姿は、「愛の解法を知らない、天才の矛盾」という意味では完璧である。論理的思考は、結局の所論理に当てはめられるか当てはめられないかで、その対象を選ぶ、ということだろう。
 次はポニョ。前半から目がうるうるする。子供ができて初めてトトロで泣けた感覚に近い。世界の謎はどうでも良い、という感想を持ってくればわかり安いだろうか。要するに5才の主人公にとって大切なことは半径3m以内であって、地球の危機など関係ないのである。その目線で見られない限り、ポニョは全く楽しめない。5才の子供がなぜそういう行動をするのか、ポニョと地球の危機の関係性とか、フジモトの素性とか、謎解きにばかり目が行くと「ジブリも落ちた」と思わざるを得ないだろう。
 僕も家族や子供を持たなければポニョは全く持って楽しめなかったはずで、その尤もたる例が千と千尋である。千と千尋から宮崎駿の目線は子供にシフトしていることは確かで、案の定僕は全く楽しめなかったのである。何故か、と言えば「ジブリなんだから、凄いものを作ってくれる」という先入観がある。大人も子供も楽しめる映画を作るのがジブリなんだ、と。そういう人たちは多分ゲド戦記に分かれれば良いのだろう(ゲド戦記は酷いが、ジブリの方向性として)。要するに子供向けを作ります、というのが今のジブリ、もしくは宮崎駿の姿勢なのだろう。
 それを強引に分解してみる。崖の上のポニョは、セカイ系か、という問いがある。一見するとセカイ系である。が、本人たちの意志は全く持って直結しておらず、周囲の「大人」が騒いでいるだけである。また前述した様に、主人公にとっては半径3m圏内が全てである。要するにコミュニケーション圏内であり、それ以外はコミュニケーション外の世界があるだけである。つまりは、社会を乗り越えて世界に、ではなく、世界は放っておいて、社会で、という話しなので、逆である。
 子供の頃の自分を思い出す。大人の常識なんて知ったもんじゃない。世界なんてどうでも良い。目の前の好きな人たちが笑ってくれればそれで良いのである。何よりも、自分が好きなことができればそれで良いのである。
 大人がどんな理屈を付けようが、子供には子供の理屈がある。ポニョはポニョなのだ。人面魚でも半漁人でも人間でもない、ポニョなのである。だから、子供に対して「大人になったら何になるの?」と聞くブラインドだらけの大人には、この映画は全く楽しめないだろう。オススメである。
 最後にエウレカ。始まって10分ほどで寝てしまった。以上。