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最近は写真日記。

新世界

 id:KEN_NAITOの論文がNATUREに受理された。論文が掲載される喜びは賛辞以上の賛辞だろう。率直にスゲー奴だ、と思う。日本にあっては研究室単位で、それこそ人数を割き、共著・連名で掲載される事が多いらしいが、ケンケンは自らの研究として挙げている。エリート、という言い方をこれまでにも何度かした事があったが、エリートの道をしっかりと切り開けるエリートであることが一つ証明された。が、残念ながら?僕は彼の力はこんなものではないと思っている。それこそ素人考えでノーベル賞を貰える人間だと、僕は踏んでいる(もちろんNATURE掲載論文のインパクトでそのまま行くかもしれないが)。
 ワンピースで例えれば、ケンケンは今まさに新世界である(そんな表現しかできない…)。それに比較すれば僕はローカルでうろうろしているヤカラである。ステージが違う、という以上に、賞金が違う。ケンケンのNATURE掲載は、ルーキーにしては異例の億ベリー越えという感じだと捉えている。それに比べると僕は歯牙にもかけられない、賞金もかからないただの人、である。あまりにも矮小な例えだが、そんな状態かと思う。
 その内ケンケンもテレビとか、雑誌とか、新聞とか名前が出たりするのだろう。その新世界の中で、よりいっそう活躍できる人間である、ということを僕は知っている。はてなをやっていなかったら、きっとこんな出会いはなかった。間違いなく日常生活において、分子生物学の博士と、おまけにNATUREに論文掲載される様な人間に知り合う機会はなかったのだから。
 翻って僕はと言えば、何も変わらない日々を送っている。波は穏やかである。先4年間も見えている。相変わらず穏やかである。今できることをやっている。「上に花咲かぬ日は、下に根を伸ばせばいい」という心持ちである。ケンケンがNATUREに受理された、という知らせを聞いた時、「どうなの?心境として」と奥さんに聞かれた。要するに「自分は何してんだ?と思ったりしないの?」という意味合いだったんだと思う。世界権威的な学術誌に論文が掲載される、ということに対しては純粋に尊敬する。自分にできるかと言えば、まずできない。おまけに自分の専門分野で同じ様なグローバルスタンダード学術誌があるか、と言われると、思いつかない。NATUREは総合学術誌ではあるけれど、自然科学的側面が大きいだろう。そう考えると結局のところセグメントが違う、という結論に辿り着く。
 同じフィールドに立つことが目的ではないが、あるフィールドを目指していることに変わりはない。グランドラインも新世界も、ひとつなぎの秘宝も、一つきりじゃない。辿り着き方も一つじゃない、ということを証明すれば良いだけだ。
 とにもかくにも、おめでとう、ケンケン。新世界へ。