apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

新たな旅路を

 1982年に始まった笑っていいともが32年の幕を閉じた。32年間という月日を身近に置き換える。奥さんが実は同い年である。いいともと歴史は違うが在籍5年間の専門学校を卒業し、この春看護師と保健師の国家資格に合格した。
 結婚し、3人の子供を育てながら通学し、実習に通い、同時期に行われる国家試験に同時に合格した。そして4月1日からは看護師として、公務として職に就く。結婚さえも見えていなかったときに、「いつかは看護師」の夢を叶えたのである。
 学校に通いたい、と聞いた時に僕は大学に行くべきだ、と伝えた。専修学校はクラス単位で動き、就職率を向上させるために、結果ボトムレベルに合わせないとならず、きっとストレスになると考えていたからだ。僕も専門学校に通っていた事があったが、それぞれのモチベーションがバラバラにも関わらず授業の進行は出席単位に依存していた嫌な記憶があったからだ。大学であれば、特に専門課程であればモチベーションがある程度担保される、と思っていた。
 案の定、通学している数年で幾度か人間関係の問題にぶつかっていたかと思う。クラスメイトや、運営・体制側との摩擦に、資格勉強以外の時間を割かれていた。慣れない学校生活に、試験勉強以上にストレスを感じていたはずである。僕も月日を追うごとに会社に拘束される時間が増え、休みもままならない日々が続いた。子ども達は保育園から小学校に上がり、環境への適応を余儀なくされていた。以前の様に手広く人と会う事が制限されたが、それでもネットというインフラがその関係性を支えてくれている。
 結果的に、僕の周り道が成就した。また一つ足場が固まった。それを成し遂げたのは奥さんの執念深さがあったからこそである。もちろんこの数年、漫然と仕事をしていたわけではない。社会科学が一般企業でも役立つことをある程度照明することができた。
 さてまた新たな旅路、まずは5年を進もうと思う。僕も、僕の家族も、そして奥さんも。合格発表を聞いた時、まるで自分の夢が叶ったかの様な錯覚だった。この数年の忍耐から解放される様な、目の前にまた新たな希望が現れたような、身が軽くなる思いがしたのである。
 合格、そして就職おめでとう。次は僕の番なのである。