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最近は写真日記。

テロルの時代

 スペインのテロ。イタリアではすぐにアルカイーダとの関係が持ち上げられた。ちなみに僕はこのニュース、日本からの電話で知った。テレビをつけるとマドリードのアトーチャ駅の映像。2001年の9月11日は日本の友人の家で見た世界貿易センタービルの映像。その時のことを思いだした。次に思い出したのは1995年の地下鉄サリン事件。当時はオーストラリアに留学中だった。映像と共に告げられるのは「同時多発テロ、無差別テロ」。
 もしそれが本当にテロだとしたらマスコミとして規制するべきではないのか?テロの定義はそういうものなのだから。神戸の殺傷事件にしてもそうだ。酒鬼薔薇事件とは言わないのかもしれないけれど、事を荒立てることがジャーナリズムだとは思わない。ましてや政府機関から発表された事柄だけを馬鹿みたいに読み上げていたって意味がない。
 テロの裏にあるものが何なのか。誰が得をするのか。対象と意図が存在してそれを第3者が利用して、結果として僕たちが見せられるものがテロと呼ばれるのであればマスコミのやっていることも情報テロ以外の何者でもない。日本人はミーハーで、飛行機のテロがあれば飛行機に乗らない。狂牛病が流行れば牛肉を食べない。ダイオキシンが確認されればカイワレは食べない。情報化社会は情報に操られる社会なのか。受動的に情報に左右される国民性は結果として国を腐敗させる。ギリシアのポリスのように。
 今でも納得のいかないことは、911と地下鉄サリン911世界貿易センターの崩壊の仕方。それとハイジャック。融点に達したための崩壊だとしてもあの落ち方はどうもおかしい。地下鉄サリンは何故サリンを地下鉄に使ったか。国会議事堂に撒いた方が早いし、無差別テロならば僕は間違いなく空から撒く。サリンの気化が早くてもテロとしての効果は高い。
 酒鬼薔薇の事件には何の違和感も無かった。マスコミが30歳以上の男性と報道している時から僕は友人に「犯人は絶対に中高生」と言っていた。それくらい自然な犯行であり、騒ぐようなことでもない。あの事件を異常にしたのは結局マスコミだ。
 亡くなった人たちは無念だろう。マスコミに取り上げられ、放送されても現実性がない。僕にしてもまるでリアルじゃない。その上テロとして片づけられて、何が起こったのかも明確にされない。されたとしてもそれはある意味脚本家の意図通り。テロルの時代って、そういうこと何じゃないのか。戦争が減って、軍備を持て余し、政府に対しての支持率が下がればテロを引き起こして。日常的な映像では数字のとれないマスコミは非日常に飛びついて。願わくばテロ行為が核に染まらないように。本当のテロルはそこから始まる気もするけれど。