apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

♪つかもうぜ! ドラゴンボール!

 今になって思うとドラゴンボールの構造は消費社会をよくよく表現していたと思った。岡田斗司夫さんが「バカアニメ = 強いやつを倒すと、また強いやつが永久に出てくる」みたいに言っていたのを思い出したけれど、資本にも限界がない。かつその投資先の商品も、機能は変わらないのに価格の桁が増えていく。

 機能的価値を一定手にすることができると、その後資本が増えても、消費活動によってできることは増えない。暇と退屈の倫理学ではないが、何でも手に入る状況において、余暇をいかに過ごしているのか、いかに過ごすことができるのかが問われる。

 (僕が知っている)ドラゴンボールを使うには「探索」という行為が必要になる。悟空が瞬間移動で各地のドラゴンボールをすぐに見つけていたシーンがあったが、時間の幅はあれど「探索」をしていた。これも一つの余暇の過ごし方なのだろう。神龍は同じ人を生き返らせることを一度しかできなかった記憶があるが、これはお金では買えない経験だ。

 子どもの頃の自分は正しかったと思う。「お金で買えるものに興味がない」と考えていたが、本能的に楽しくないとわかっていたのだろう。未だに考古学や歴史学の本ばかり読んでいるのは、やっぱり終わりがないものが好きなんだと思う。

 「言いたいことは特にない」けれど、少し前に元はてな界隈の人と久しぶりに会ったので、ブログを更新してみようと思った。