apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

♪つかもうぜ! ドラゴンボール!

 今になって思うとドラゴンボールの構造は消費社会をよくよく表現していたと思った。岡田斗司夫さんが「バカアニメ = 強いやつを倒すと、また強いやつが永久に出てくる」みたいに言っていたのを思い出したけれど、資本にも限界がない。かつその投資先の商品も、機能は変わらないのに価格の桁が増えていく。

 機能的価値を一定手にすることができると、その後資本が増えても、消費活動によってできることは増えない。暇と退屈の倫理学ではないが、何でも手に入る状況において、余暇をいかに過ごしているのか、いかに過ごすことができるのかが問われる。

 (僕が知っている)ドラゴンボールを使うには「探索」という行為が必要になる。悟空が瞬間移動で各地のドラゴンボールをすぐに見つけていたシーンがあったが、時間の幅はあれど「探索」をしていた。これも一つの余暇の過ごし方なのだろう。神龍は同じ人を生き返らせることを一度しかできなかった記憶があるが、これはお金では買えない経験だ。

 子どもの頃の自分は正しかったと思う。「お金で買えるものに興味がない」と考えていたが、本能的に楽しくないとわかっていたのだろう。未だに考古学や歴史学の本ばかり読んでいるのは、やっぱり終わりがないものが好きなんだと思う。

 「言いたいことは特にない」けれど、少し前に元はてな界隈の人と久しぶりに会ったので、ブログを更新してみようと思った。

ChatGPTとBing AIの評価

https://apoptosis.hateblo.jp/は、ある個人によって運営されているブログサイトです。このブログは、医学や生物学、医療技術、最新の研究成果などに関する記事を中心に掲載しています。

"apoptosis"という言葉は、細胞がプログラムされた細胞死を起こす過程のことを指します。このブログのタイトルに使われたことからもわかるように、細胞死に関連するテーマが多く扱われています。

このブログでは、専門的な知識を持った人に向けた記事が多いですが、初心者にもわかりやすく解説した記事もあるので、幅広い読者層に向けた情報を提供しています。また、著者自身の研究成果や経験をもとにした、個人的な見解や考察も掲載されているので、興味深い記事も多いです。

ChatGPT(無料版)

https://apoptosis.hateblo.jp/ は、ブログ「apoPTOSIS:mod.HB」のURLです。このブログには、様々なトピックについての記事が掲載されています。最近は写真日記が多いようです1。他にも、キャリア相談、住宅情報、転職、旅行などの話題があります1。

Web検索結果によると、そのブログの人気記事には「祝!はてな上場」1、「自主・自立・自走」2、「00年代の代表作と言えるアニメ」3、「エスイーエックスが上手と言われたい?」4などがあります。他に何かお手伝いできることはありますか?

Bing AI

毎日が日曜日の様に

ここ数年、主に20代の方にキャリア相談を受けることが増えた。

大体において、

  1. 望んでいた仕事の内容と違う。
  2. これからのキャリアにおいて、今の仕事が何の役に立つかわからない。
  3. 今後の自分のキャリアが不安。
  4. もっと大きな(社会的インパクト?)仕事ができるはず。

という内容である。

 率直にいつも返している言葉があって、「そこまで仕事について、真剣に悩み考えられるのは凄いね」である。次に返しているのは、「やりたいこと、できること、稼げること、この3つは違うよ」と伝えている。僕は考古学を続けたかったけれど、それを続けるとなると今の収入どころか生活も担保できないことになる。それにできることは別にあるけれど、今一番稼げることを仕事にできているだけだ、と。

今となっては、僕もビジネスマンとして仕事をしているけれど、相変わらず僕には仕事のキャリアイメージは全くない。どんなビジネスマンに成りたい、とか、どんな仕事をしたい、とか、全くイメージも期待もない。丁寧に表現をするならば、どんな労働をしたい、というイメージは全くない。

未だに手に取る本は考古学・ローマ関連・歴史学の本であって、ビジネス書は数えるほどである。そういう意味で、僕にキャリア指南をするスキルはそもそも鍛えられていないのかもしれない。そして、やりたいことで稼げない(僕が望む額に及ばない)、ということを身を以て経験している。

それでも思うことがある。「望んでいた仕事をすることで、何が達成できるのだろう?」という質問をすると、往々にして答えに窮している様が伺える。何故だろう。

やりたいことのその先を考えている?

 ビジネスに全く興味のない僕でさえ、就職活動を全くしなかった僕でさえ、大学卒業当時後輩から「カリスマ美容師になりたいので、美容師を目指そうと悩んでいます」と相談され、「それで?美容師は国家資格を取れば成れるよね?カリスマになれるかどうか僕にはわからないけれど、カリスマ美容師になって、君は何を表現したいの?カリスマ美容師になってから、何をするの?カリスマ美容師になると何を得られるんだろう?」と質問したことがある。

その時の後輩の姿と、とても語弊がある言い方かもしれないが、日本でもトップクラスの教育を受けて来ている20代の受け答えが全く同じである。かつ、日本の大手企業に一度でも就職したことがあるビジネスマンでもある。資格を取り、その職に就くこと。望んでいた企業に採用され、その会社の社員として名刺を持つこと。その先に何があるのだろう。

國分功一郎氏の書籍でも読めば半分は片付く話しかもしれないけれど、実際のところ継続的に学んでいる人は本当に希少である。特にビジネス以外のディシプリンまで幅を広げる人にあまり出会わない。教養はグロテスクである、という言及が以前あったが、そもそもビジネス社会においては教養のボトムもビジネスに飲み込まれていてその範疇を出ないのである。新書ビジネスの弊害だろうか。本を読んでいれば学んでいる体は何だろう。

なぜそこまで自ら労働者として在ろうとするのか

そう言えばタイトルは土曜日じゃなくて、日曜日の意味があって、明日が月曜日となると休みながらも明日は仕事である、という変なプレッシャーがかかる。いわゆるオンでもオフでもない状態になって、身は入って無いまでも、何を準備するか考えていて、思考はフローしている。

多分、そんな低ストレスで考えながら休む、否、休みながら考える、という状況が日々続いていくことができる様なものを見つけられることが、冒頭のキャリア不安に対する一つの回答の様な気がしている。

僕らには選択の自由がある。今となっては初等教育においても登校しなくても済まされる。仕事も同様である。嫌なら辞めれば良い。でも、稼がなくてはいけない理由があるのであれば、それ以外に労働する意味はない。選べないのは稼げるスキルが無いからである。選択する自由を得られていないからである。
※ここでの範囲は、学ぶことへの資本懸念が無かった方々を対象としているので、そのスキル取得は、資本的な先天的課題である、というのは棚上げする。

「もしすでに10億円くらいキャッシュ資産を持っていたら」何をしたいのか?何に渇望するのか?個人に閉じて、限定的な自由を消費するのか?そんな質問がわかりやすいのかもしれないと思った、2020のお盆である。

注文住宅で家を建てる場合、どこで建てるか?それが問題だ

注文住宅で家を建てようと思ったときに、まずどうしたら良いかわからなかった。

できることは限られているので、下記の方法で情報収集を行う。

1.住宅展示場→いわゆるハウスメーカーを選ぶ場合
2.無料・有料雑誌→ちまたで目にする住宅情報誌や湘南情報など
3.ネット→SuumoやHouzzなど
4.口コミ→友人・知人、また不動産会社紹介

一つ一つ、メリデメを。

1.住宅展示場(ハウスメーカー

メリット

実物が見れるため、各ハウスメーカーの特徴が明確

デメリット

いわゆるハウスメーカーしかないため選択肢がない

2.無料・有料雑誌(Suumo、SHONAN TIMEなど)

メリット

住宅展示場より情報が多い

デメリット

編集のクオリティの問題かもしれないけれど、各社の差別化ができてないので選べない

3.ネット(Suumo、Houzzなど)

メリット

ハウスメーカー工務店とは違い、設計事務所などもわかる

デメリット

情報の信頼性が低くて、様々な口コミサイトなどの評価が全く違う

4.口コミ(不動産会社紹介)

メリット

実績に基づいた話が聞ける

デメリット

工務店の紹介が基本となるため、選定するための打ち合わせに時間がかかる

結論

というところで、結果的に口コミによる地元工務店さんに依頼することに。

今回の教訓

ちなみに、ハウスメーカーでは、ダイワハウスさん、住友林業さん、ヘーベルハウスさん、積水ハウスさん、ミサワホームさんに話を聞いたけれども、何というか住宅展示場のインバウンド営業のビジネスリテラシーってそれで良いのか?という前提は抜いても、葉山という宅地造成が求められる場所での建設には見合わないことを認識できた。

土地・エリア次第で得意・不得意がある

端的に、建物自体の見積もりは何となくできても地盤やら宅地造成などの確認・検討に時間がかかり過ぎて、打ち合わせに時間がかかり過ぎる。
反面、湘南・葉山に慣れている工務店設計事務所では、宅地造成など含めてノウハウがあるので上モノ同様に、その場で概算見積もりが出て来るので信頼感が高かった。

あとは営業マンの問題

営業としてリスクヘッジして断定しない、という対応は理解するが、あまりにも「一旦持ち帰って確認します」的な話しばかりで、だったらメールで済ませよ、という無駄な時間ばかりかかった印象。

ブランドが成立するための条件がある

結論ハウスメーカーで建てたいのであれば、土地造成が成ったところで建てるのが一番であるし、それが一般的なニーズなんだと改めて認識しました。

働き方を変える。前に、とりあえず引っ越そうか

 なんとなく引越したいと思い始めたのが2017年の始まり。
発端は4人目の妊娠・出産と、上の子3人の成長と言えば腑に落ちやすいが、単に今の住居に飽きただけでもある。

土地探しの条件として
  • 眺望が良い。
  • 海が見える。Must。
  • かつ、歩いて海まで行ける。
  • でも、津波被害は避けたい。
  • LDKは広くしたい。30帖くらい。
  • あと玄関も広くしたい。
  • 部屋数は少なくて良い。子ども部屋も少なめ。
  • 収納多め。
  • 特に書庫。


ちなみに数年前に中古で格安購入した現我が家は、

今の家の良いところ
  • 住友林業施工。土地もそれなりに広い。
  • かなり広い屋上有り。
  • 床暖房もあり。
  • さすがの断熱性能。
  • 部屋数も十分でかつ書庫もできた。
今の家の不満点
  • 玄関が狭い。旧型マンション並に狭い。
  • LDKが常識的な広さ。大人4人までくらい。
  • 部屋割りが微妙。
  • リフォームしづらい。
  • 近隣の開発により眺望が…。
当たり前だけれど、難しい

みたいな条件でノラリクラリと探し始めて、2017年末に中古物件ながら要件を適えてくれる物件に出会えたものの、金額高すぎてローン通らず。
※ちなみに坂上不動産にも取り上げられていた物件だった。

職場への通勤時間を考えて片道1.5時間程度を幅に、「海が見える」要件を軸に土地や中古を改めて探したものの、いわゆる「海見え」の土地がどれもこれも億近く(土地だけで)予算オーバー。

海見え・土地調整必須

見つからなければ見つからないで、早期引退して沖縄にでも引越そうと言っていた矢先に、ちょうど良い土地を発見。若干、土地整形が必要なものの、「海が見え」かつ「眺望も良」く、何より職場への通勤時間もちょうど片道1.5時間以内に収まりそうな条件である。

現地確認したその日に即決。

とっても時間がかかる

振り返れば、だいたいここまでで1年くらいの時間を費やしていた。とは言え、土地が見つかっただけでどのハウスメーカー、ないしは工務店で建てるかも全く未検討。挙句に建物の概算も検討つかずだったので、そこから改めて建築会社さんを探すことに。


続きます。

転職して早1年。そしてもうすぐ不惑。

「健康だね。何かで苦労することもないし、お金に困ることもない。ただこのままだと、本当にやりたいことができないままだよ」と、イタリア時代からの友人に、手相を見ながら真顔で言われた。
 
 転職して早1年。前職には約10年ほどお世話になったが、転職後も毎月顔を出しては未だにお世話になっている。転職先の会社はいわゆるグローバル企業だが、週に一度英語を使って報告する程度で、日常業務は日本語でどうにかなっている。仕事という意味では、ある意味順調なのだろうが、相変わらず考古学の道からは逸れたままなのである。
 
 そう言えば4人目が産まれた。男の子である。これで男子2名、女子2名、犬♂、猫♀で、3:3のバランスになった。順調に家族は増え、順調に子どもたちも成長している。僕も後数ヶ月で40歳となり、不惑の歳を迎えるのだが、改めて残り半分と言われる人生の進め方を設定するタイミングなのだろう。
 
 最近、子どもの頃を思い出す。「こんな大人になりたくない」のイメージの筆頭が、「やりたいことをやれない大人」だった。何かしら言い訳をつけ、日々の生活のために働き、それでもやりたいことができずに苦悶し続ける人生。ある意味一番望まなかった生き方を進んでいて、反面あの頃の呪縛が自分を制約している気がしてならない。一つだけイメージが異なるとすれば、生活に貧窮しているわけでも、仕事が死ぬほど嫌だ、というわけでもないことだ。そしてそれこそが、次の一歩を踏み出せない一番の理由になっている。
 
 いつの間にこんなにも臆病になったのだろうか。やりたいことのために、今の生活を捨てることにためらいを感じる様になったのは、なぜだろうか。それこそ20代までは全てを捨ててでもやりたいことを求めていたのに。何よりこのブログの【ログ】を漁れば、目的志向の過去の自分がいるのに。色々なものを手に入れる、ということは結局は身が重くなるのである。
 
 ただ、自由を失っているわけではない。家族と共にあることで自由や選択肢は増え続けている分、取捨選択の重みが増加しているのだ。有り体に言えば、以前は【やりたいことができない】という状況が理解できないと思っていたが、そんな人々の葛藤がわかるようになってしまったのである。
 
 不惑を前にして、今更ながらの課題抽出である。プロジェクト的に考えれば、ここからやるべきことはまず課題設定をし考古学というゴール設定をし、逆算したネクストアクションを決めることである。実際にライフプラン表を作成し現実的なファイナンシャルプランも想定してみたが、このままでは後10年は動けなさそうなのである。
 
 そう考えてみると僕にとっての不惑という意味は、次の10年とその後の10年を見据えて行動するのみ、と捉えても良いのかもしれない。できること、できないこと、やりたいこと、やりたくてもやれないこと、やらないといけないこと、そんな葛藤や矛盾が年齢を追うごとに身にしみて、人間て生き物が少し近づいた気がした。そうして、明日からもまた苦悶しながら生きていくのだと思う。

祝!はてな上場

はてな年齢12歳。

 はてなが上場したのである。12年前の2004年2月23日、僕ははてなデビューした。

ほぼ日より、毎日。

 当時は毎日更新を心がけて、2009年位までは頑張って書いている。それ以降は、仕事が本格化したり、FacebookTwitterなど、いわゆるマイクロブログ系でのフィードが増えてしまった。それでも相変わらずはてなでブログを書いているし、何だったらビジネスにおいても深く関わる様になっている。
 はてなを始めた当初、ブログって何だ?という時代だった。人力検索はてなを始め、はてなアンテナはてなチャンネル(はてなRSS)やはてなリングや、今ではブログガジェットとしては当たり前に備わっている機能がローンチされては終了していった。言わずもがなだけれども、はてなブックマークは当時は衝撃だった。だって、自分のブックマークが他人と共有されて、おまけに他人がどの様にそのサイトを見ているかコメントをつけられるなんて、正にインターネットのためのサービスだと思った。ある意味、googleSEO的な思想だと思う。誰もがブックマークしている=言及・引用・参照しているサイト、を見える化できるのだから。何だったらはてブ先のサイトを自動クロールさせて、機会学習させて、趣味・志向性でセグメントできる位に。

言いたいことしかない。

 何が言いたいのかというと、はてなやっていて本当に良かった。人を楽しませる文章は相変わらず書けないけれども、書く、という行為に慣れることができた。はてなに属する人々のインターネットに対する思いをリアルタイムで感じる事ができた。ある時は賞賛されて、ある時は避難されて。一時期ブログサービスが一般化しはてな離れが加速したけれども、はてなブログをリリースした事で、またはてなへの回帰が見られる。何よりも様々な繋がりを得る事ができた。

何を返せるか。

 未だにはてなを通して繋がっている人たち。そしてずっとはてなを書いていたからこそ、結果的に株式会社はてなとビジネス的にも深く関わる事になった事。はてなと一緒に企画し、はてなと一緒にイベントし、はてなのプラットフォームを使い、そしてこれからのはてなを支えていくエンジニアの採用を支援したり。そう考えてみると、はてなを通して得たものが、今の僕を支えている。
 今日、はてな時価総額は71億円を超えた。はてなと一緒に成長しているつもりの僕も、IPO的な転回をしなければならない。まだまだ本来的な意味では道筋が険しいけれども、はてなが乗り越えた道を、僕も乗り越えられる様に。変な会社がIPOできたのだから。
 
はてなの皆さま、おめでとうございます。