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最近は写真日記。

大森貝塚

 今日、6月20日(もしくは19日)はモースが大森貝塚を見い出した日とされている。1877年6月18日に横浜に到着した彼は、新橋に向かう汽車の窓からこの貝塚を「直感的に」発見、発掘の後、報告書にまとめる等、日本考古学の基礎を作った人とされている。現在でも大森駅プラットホームには「日本考古学発祥の地」という碑がある。つまりは科学的学問として、考古「学」として成立するための第一歩が129年前の今日だったわけである。
 残念ながら日本では未だに考古学の科学的学問としての方向性が判然とせず、他の学問の補助学的な役割が強いが、近年では埋蔵文化財に興味を抱く人が増え、一般メディアにおいても大々的に報道される様になり、考古学はその内容とは別に、一般に知られる様になった。
 最近では装飾古墳、特に彩色壁画古墳の処理に誤りがあったとされ、文化庁の失態が報道されているが、当庁の対処は「謝罪」「減給」とお粗末なものである。もちろんイタリアなど世界遺産が集中する地域からすれば、遺物・遺跡のかびや傷などはついて当たり前であり、それをどう修復するかが論点となるのだろうが、例えばこれがモナ・リザだったとしたら、やはり保管・管理の方法からして厳しく責任を追求することになるのだろう。
 日本では企業開発のために文化財が蔑ろにされるケースが少なくない。例えばNTTドコモの鉄塔工事によって文化財が脅かされ、古墳は一基全壊している。しかも関西地区でである。関西、特に奈良・京都であれば、「庭を掘れば文化財が出てくる」と言われるくらい、埋蔵文化財の存在は一般にも認められている。その様な地域で、文化財保護法を意識しない土木業者は皆無だろう。大阪に施工管理をしていた知人がいるが、「そこら辺の業者でさえわかりきってる手続きなのに、ドコモが知らないわけないだろ」と苦笑していた。「古いもの壊さなきゃ、新しいものは作れんだろ」とのたまう人もいるだろうが、全てを残さなければいけないわけでもないし、最初から壊すことを前提に新しいものを建てる必要性もない。問題なのは、文化財が発見される可能性がある場所、もしくは発見された場所ならば、調査を行い、データだけを残すのか、データと遺構を残すのかの選択肢が企業の都合によって排除されていることである。人口が減少する傾向にある中で、闇雲に新たな土地を開発するだけでは、埋蔵文化財どころか、経済的にも悪循環である。
 要するに埋蔵文化財に対する意識が低すぎるのだ。遺物、遺構というものは人間の歴史の遺産である。自分のもの、例えばアルバムだったり、愛着のあるものにかびが生えたり、傷がついたら、それぞれにそれなりの対処をするだろう。そのレンジをもう少し拡大し、自分が産まれてくる以前の日本に住んでいた人々が残したもの*1に敬意を表しても良いはずである。それが行く行くは自分の子孫に受け継がれ、価値観は変化しても、事実は残されていくのだから。そのバトンを落してリレーを止めざるをえない事態だけは避けたいものである。

*1:意図には関係なく