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最近は写真日記。

未だ生を知らず、焉んぞ

 id:tetsu23さんの「私は死を知らない」id:tetsu23:20041028に、感じたことを。
 僕は今までに2度、死を覚悟したことがある。1度目は小学校の頃。偶然が重なり朝礼帰りの廊下で将棋倒しになった。僕の下には2人程倒れ、僕の上には何十人も倒れ込んで来た。隣ではクラスメイトが「やめろ!押すな!押すなよ…」と最後は涙声に成りながら叫んでいた。人に押しつぶされて光がまるで届かなくなって、「もう駄目なのかな?」って思った時に、教師に叩き起こされた。一番下にいた友人は救急車で運ばれた。
 2度目は大学の頃。帯状疱疹にかかり、身体が不調を訴えた出した頃、急に高熱に襲われた。最初の2、3日は市販の薬で様子を見たがまるで効果がない。結局病院に行ったが、原因は不明。熱冷ましだけ処方されて、帰される。それでも毎日40度以上の高熱。1週間しても熱は下がらず、色々な病院に行くが、原因はわからず、何処に行っても熱冷まししかくれない。血液検査は「1週間後にまた来て」と意味が無い。「これはヤバイかもしれないなぁ」と思い始めた頃、市立病院を紹介される。親に車で送ってもらうと即入院で、個室に隔離。
 それでも「うーん、原因はわかりませんが、とりあえず熱をどうにかしましょう」と定期的に座薬を入れられる。血液も嫌と言うほど抜かれ、食事をすればもどすので、ずっと点滴。その内に身体中に発疹ができて、「ハシカかもしれませんね」と曖昧なことを言われるが、毎日様々なドクターが見学に来ては色々とメモしていた。
 入院2、3日は病状に変化がなく、隔離されたベッドの中で「ああ、これ本当に死ぬんじゃねぇの?」と感じた。結局5日程して熱が下がり、血液検査から「ハシカだった可能性がある」と言われた。そういえば20歳を過ぎてからのハシカは死ぬことがあると聞く。
 小学生の頃は、毎日死に脅えていた。1人で眠るのが怖くて、いつも死ぬことを考えていた。こういう性格だから結果として胃をやられて、10歳に成る前に十二指腸潰瘍になった。原因はもちろん、ストレス。それが高校を出る頃には、死ぬことがどうでも良くなっていた。こういうことを言うと「死がリアルじゃないからだろう」と言われるがそうではない。
 今まで結婚式よりも、葬式に出席した回数の方が多い。親と一緒に居る時間より、ずっと長い時間一緒に居た祖母が亡くなった時も、涙さえ出なかった。彼女に触れた時に、「へー、本当に冷たいんだ」と感じた。その感覚は、映画「誰も知らない」の、柳楽優弥の台詞「気持ち悪かった」という感覚に近いはず。
 ガンジス川で、上流で焼かれている死体を見ながら沐浴をした時。カルカッタで何か踏んづけたと思ったら、人の死体だった時。いつも優しくしてくれた友人の母親が亡くなった時。部活でも顔を合わせていたクラスメイトが亡くなった時。その全てにおいて、僕は特別な感情を抱かなかった。
 この感覚を言葉に置き換えるのは困難である。ただいつしか死よりも、生に重点を置いた時に、死の呪縛から解かれていた気がする。それ以降死を考えた様に、僕は生を考えた。もちろんそんなものは考えてわかるものではない。だとすれば死もまた、考えてわかるものではない。それならば今は生きている以上、生をできる限り感じるしかない。自分が「生きている」と感じるギリギリの所に立つしかない。そう思えた時に、いつの間にか死がどうでも良くなっていたのだ。それはもちろん、わかったわけでも理解したわけでもない。ただそう感じるだけなのだ。だから僕もまた死を知らない。