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最近は写真日記。

高学歴とエリートと就職と、僕のコンプレックス

 はてなブクマで話題になっている学歴と就職難関係。

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 自分より学歴が高い人を見ると意識してしまう、学歴コンプレックスの僕には、無意識に反応せざるを得ない部分があった。僕は良く「学歴が高いからエリートですね!」と茶化すことがあるが、実際はエリートだからこそ高学歴だと思っている。要するに「高学歴だからエリート」ではなく、「エリート故に高学歴になる」で、学歴は結果論でしかない、と思っているのだ。そういう意味では、僕の中での「エリート」とは継承可能性を示すもので、「学歴」エリート、ではなく、学歴「エリート」の意味合いが強く、いわゆる幼稚園お受験組〜東大を示している。それもまた僕のコンプレックスのなせる技なのだろうが、とどのつまり学歴のある部分は、金で買えるものだ、とも思ってしまっているのである。
 大学を出た辺りから高学歴の人間に出会うことが多くなった。東大、京大の研究者がざらにいたし、旧帝大の研究者が「いや、僕なんかでも結局は地方国立大学扱いだからね」という言葉をつぶやいていた。そんな人たちばかりだから、早慶上智卒の人々でさえも「東大からすれば、結局早稲田は、って感じだからね」と、三流大学卒の僕からすると想像も付かない高レベルの戦いが繰り広げられていた(※もちろんそんな戦いはなくて、学歴コンプレックスの僕の勝手な妄想なんですが)。
 そんな彼らは間違いなく「学歴」エリートだ。京大博士出を2人知っているが、1人は社会科学系、1人は自然科学系であり、それぞれ既に海外で活躍している。それぞれの研究分野で第一線におり、日本に戻ってきても今以上に収入を落とすことなく活躍するだろう。そして旧帝大の研究者も日本で活躍しているし、早稲田の男は僕と同様の悩みをかかえながらくすぶってはいるが、僕より早く目的にたどり着ける要素を多く持っている。別段研究者に進まなくても、慶応卒の人は定職に就かずにふらふらした結果、今ではPCベンダー超大手で人事とかやっていたりする。
 長々と例を出したが、言いたいことは単純だ。僕の中で「エリート」と呼ばれる人には道が開いている。もしくは、エリートであるが故に、その名にふさわしいものが勝手についてくる。挫折をしてはい上がれる人間は秀才だと思う。が、挫折すら知らずに人生を終われる人間を僕はエリートだと思う。エリートだから高学歴で、エリートだから高学歴を売りにすることなく、僕が一生かかってもたどり着けない様な場所を悠々自適に生きているのだ。僕にとっては、僕のコンプレックスの対象となる学歴エリートとはそういった人たちを指す。
 話は変わって就職難。求人広告を企画・発行する職場で働く僕からすると、労働市場の人材不足はまるで解消されていない。企業側は先行き不透明の中で人件費、採用費の削減に努めているが、マッチングさえ上手くいけば、すぐにでも採用します、という企業が多い。何より派遣労働者の風当たりが強くなったことや、非正規雇用の待遇改善で、正社員の採用に力を入れる企業が以前よりも増えている。そんな中で、新卒で「就職先がない」というのはどれだけの選り好みをした結果なのか、疑わざるを得ない。今まで男性とのおつきあいとか、男性経験がないのに、理想だけが高くて、周囲の男性を批判することばかりに楽しみを覚えている様な女性、とか、自分はいけてると思いながら、実は非モテで、ひげとか青くて、胸毛もあって、「ねぇ、くさい」とか言われちゃうのに、女性に対して手厳しい男、みたいな。そんなミスマッチからくる、現実への批判なんじゃないかと思ってしまう。
 他の人が書いていたが、学歴をツールとして持ち入れないのであれば、やはりエリートはエリートたり得ず、学歴の意味がなくなるだろう。就職を目的に学歴を手にしたのであれば、やはりそのツールを上手く使ってこその学歴だと思うのである(高学歴と就職難を問題にしているあたり、就職と学歴の関係を念頭にしているのだろう)。