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最近は写真日記。

HANABI、そしてHere I am

 会社に退職願いを出した。6月のことだった。9月1日からは、誰もが知る会社で、ポジションも約束され、経営企画の仕事が決まっていた。
 7月に入ったある日、僕の奥さんが幼なじみの奥さんにメールをした。僕らは毎年、夏休みになると生まれ育った場所で、地元恒例の花火大会に参加していた。今年の8月15日のスケジュールは?そんな内容だったかと思う。帰って来たのはメールではなく、奥さんからの電話だった。「急な事で連絡できずにごめんなさい…」震えた声を聞いた時に、次に続く言葉があまりにもシチュエーション通りで、電話を持ったまま何も言えなかった。
 「死んじゃった」と、幼なじみの奥さんは振り絞る声で僕に伝えた。突然の事だったという。体調に異変を訴え、そのまま。残されたのは、奥さんと2人の子供。長女は来年の4月、小学校に上がる。30半ばで、家族に恵まれ、これから、という時である。仕事での過労かとも思い、後々に聞いた所、全くそういうことはなかったらしい。有名大学を出て、世界でも有数の企業に就職し、その後地域に根付いた優良企業に転職していたが、ほぼ毎月表彰される成績で、かなり優遇されていたという。
 僕らは子供の頃から、一緒に過ごしていた。母親の言葉を思い返すと、「あなた達はお腹の中にいた頃から」のつきあいらしい。一緒に学び、一緒に遊び、食を共にし、風呂を共にし、そして親よりも長い時間を過ごした。思春期から彼が結婚するまで、様々な事があったが、僕らは子供を持ちながら当時と同じ様にゲームをし、食を共にし、酒を飲むようになっていた。
 何を悲しむべきか、どう表現すれば良いのか、しっくり来なかった。彼に会えないことを?彼と遊べないことを?いつか考古学で発見をするから、と約束したことを?一期一会だと思っている。例えそれが親しき人であっても。それが理解できているから、「そうか、君はもういないんだな」という感慨しか、その時は浮かばなかったのである。
 49日を迎える前に、彼の自宅に、もう1人の幼なじみと訪ねた。2人の子供は少し寂しそうだったが、2人を抱きかかえると、子供持ち前の元気をしっかりと持っていた。幼なじみの奥さんも、「全くこんな大事な時に、ね」と前を向き、「とにかく子育てしないと」と現実に向き合っていた。
 その数日後の8月15日、僕ともう1人の幼なじみは、地元の花火大会にいた。子供の頃から、自転車で見に来ていた花火。居るはずの人間が居なかった。

笑っていても、泣いて過ごしても、平等に時は流れる
未来が僕らを読んでる
その声は今 君にも聞こえていますか?

さよならが迎えに来ることを
最初からわかっていたとしたって
もう一回 もう一回
もう一回 もう一回
何度でも君に逢いたい

HANABI - Mr.Children

 その帰り道、iPodから流れた曲を聴いて、何を悲しむべきかやっとわかった気がした。僕は「共有体験」を喪失したのだ。結果、言葉を失ったに等しい。「あの花火大会」と発話した時に、(共有体験をしていた)幼なじみに伝わっていた言葉は、もう誰にも伝わらない。 「一緒に学び、一緒に遊び、食を共にし、風呂を共にし、そして親よりも長い時間を過ごした」、事実を証明する客観を失ったのである。大きな損失なんだと、やっとわかったのだ。
 人が死ぬ。人が居なくなる。文脈が喪失する。言葉が失われる。自分の欠片を失う。今まで自分を構成していた客観を失う。僕と一緒に体験し、思い出を分かつ人間を失うと言うことは、1人の自分を失うことなのだ。過去を美化しようとするノスタルジアもあるのかもしれない。ただ、彼と僕との間で交わされていた言葉は、その本来的な意図を今後持つことはないのだろうと思う。
 9月に入り、僕は転職せず、元の会社にいた。新たな組織を立ち上げ、会社が抱える課題に取り組むことになっていた。会社に残った理由はいくつかある。待遇はもちろん、転職するはずだった企業の方が良かったが、人の良さは今の会社も負けていないと思えたのだ。転職先が決まるまで、何社か面談をし、その内数社の話がトントンと進んだ。それぞれ抱える課題は類似しており、また課題解決策も、聞いた限りにおいて、今の会社で抱えている課題と近しいものだった。それはつまり合成の誤謬に集約される内容であったが、調停者が不足しているために、物事が進まないのである。

消せないくらい深く残る傷 それさえ歌い繋ぐ事出来る
here I am 昨日焼き尽くすくらい here I am 希望焚き進むlife
響け決意表明のverse 起死回生手延ばす明日


鮮烈な意思で存在証明 振り絞る声 焼け付く胸もそのままに
全身揺さぶり感情表現 高まる方へ この歌が君にも聴こえるように

Here I Am - DA

 幼なじみが抜けた穴はそのままに、僕らは前を向く。今の生活のために、そして未来の選択肢のために。幼なじみとの本来的な約束を果たすにはまだまだ遠い道のりだが、軌道修正をしながら歩んでいる。幼なじみとは、偶然にもお墓も隣同士。死後の世界があるのであれば、その時までに約束を果たしたいものである。

今まで、ありがとう。またな。

既にM2

 気がつけば今年に入って始めてのブログである。いつの間にか更新頻度は、FacebookTwitter→LinkedIn→はてなとなっている。書くことがないのではなく、書く内容がよりリアルタイムになりつつある。もっと言うと、2次情報は消費されるために発信されるため、即時的消費が成されないと直ぐにフローしてしまう。拡散されるためにあり、いかにキュレーションされるかを念頭にしているのが最近のWebメディアの傾向だろう。ちなみにそんな話はこの記事に何の関係もないことでもある。つまり何の記事も引用しない。
 先月の2月7日で35歳になった。いわゆるM2セグメントである。M1向けのターゲティング広告に接触する機会も激減している。
 ここ最近の変化と言えば、

  1. 平日はビールばかり飲んでいる。
  2. 週末はワインを空けます。
  3. ビールに飽きると日本酒です。
  4. 幼なじみが遊びに来たときは、焼酎。
  5. 甘いお酒が飲めなくなりました。
  6. 去年の夏に4kg痩せましたが、既に戻っている件。

 と言うわけで、今年から人間ドックデビューなのだ初年度から色々とひっかかりそうなのだ。丁度同時期に、ジュニアが小学校デビューを果たす。ランドセルが高くてビックリしたが、金額なんて所詮は親のエゴなんだとも思う。先日は卒園式だったが、その内に写真をアップする(はず)。
 そんな感じで、今更ですが、今年も宜しくお願いします。あと、その内、「株式会社はてなタイアップ」デビューもします。

家を買う。

 最近、流石に忙しくなった(と感じる)。ほとんど終電である。自分の時間のコスト感覚がおかしくなることがある。一定しているのはモチベーションだけで、決して上がることがないのが唯一の救いでもある。一言でいうとYahoo!ニュースとか全く見ている時間がありません、という日々を送っている。でもはてブだけはチェックしてるけれども(はてなの人、最近連絡がないですね…)。
 何かしらの指標が欲しくなったので、家を買うことに決めた。6月23日にさくっと家を見始めて、7月21日には契約していたからまぁまぁのスピードだろうか。結局一番最初に気になっていた物件に決めた。よく分からないけれど、それなりに?有名なハウスメーカーらしいが、住設系は全くわからん。住友林業の良さって何だろうか。住宅ローンとか通るのか?と半信半疑だったが、申請した銀行全てに通った。大体の理由が「その企業なら知っているので」というもので、初めて今の会社の存在価値?を知った。何よりそれなりの金額の融資にさくっと通るなんて、5年前ならあり得なかったことではある。良いのか悪いのかわからないけれど、随分とビジネスに浸食されているのである。要するに結局私的生活スペースも、社会的関係性に影響を受けるという一番わかりやすい現象かと。平たく言うと、個人では支払い能力の有無は判断できないけれど、所属するコミュニティがそれを担保しますよ、という。
 と言うことでお盆はお引越です。車も何台かは停められるし、屋上とかもあるけれど、何より書庫的なものを作れるので、それが一番の幸せです。遠回りしっぱなしだけれども、腰を落ち着かせられるホームがやっとできた。嫁も順調に卒業できそうなので、ちゃっちゃとバトンタッチしたいのである。お金稼ぐのに飽き始めた、というのが本音だけれども。
 全然関係ないけれど、日経のお偉いさんに会ったとき時に「日経のアプリ、学割ないの、何で?」って質問したら、「独禁法に引っかかるから」って返答は意外だった。市場原理って何だろうか。

また一つ年を重ねた

 白々しく年をとっていく。34歳の自分が、実はにわかに信じられない。少し前まで14歳だったのに。気がついたら24歳になっていて、多分次に気がついたら44歳というゾロ目になっているのだろう。「この世の中は基本的に平等ではないですが、案外と平等なものがあります。時間です。」と言っていた人がいたが、嘘だろう、と思う。その時間もまた人が決めたものだ。生物の時間はサイズによって異なる。ゾウとネズミの話なんかしなくたって、時間という近代的な制約に縛られるつもりはない。僕の時間は僕が決める。
 エトルリアの映像をNHKで見た。訪れ、写真に撮り、メモを取った壁画ばかりだった。壁画の変遷に対するコメントも数年前と変わっていなかった。一見すると研究は進んでいない。そんなものだ。誰かが少しずつ積み上げて、誰かがリレーする。気がつけば研究は進んでいる。企業組織に入って、経営戦略とかやってわかったことはそういうことだ。「誰でも引き継げる。誰もが同じ様にできる」そうしないと経営は持続しない。必要なのは「何を」引き継げる様に企画するのか、である。天才が何人も続けば良いが、誰もがそうあるわけではないのだ。アカデミアとビジネス社会と一般社会の差は、アカデミア>>>>>>ビジネス>一般、くらいに遠い気がする。否、本当は並列でもあり同列なのだが、言葉が違い過ぎるのである。言ってみれば、アカデミアは企画し、ビジネス社会は持続させようとする。企画が天才的でも、ビジネス社会はマネタイズできなければ持続不可能になり、一般社会には伝播しない。企画が100年に一度の発明であっても、結局一般社会が追いつくのに100年かかるのである。※強引なモデルではあるが…。
 ここ2年くらいそういうことばかり目の当たりにし、考えている。東日本大震災以降、行政とやりとりしていても様々な齟齬を感じるのだが(今更ではなく、以前からだが)、何故齟齬を感じるのかが具体的になりつつある昨今ではある。要するに「誰に」行うのか。「誰に」研究するのか。「誰に」展開するのか。そういった事が中途半端なんだと。政治や学閥で、ポストが消える様な専門分野って何だろうな、と。ましてや一研究を引き継げない、というのは、それこそ国家的な問題であり属人的この上ないと思うのである。ビジネス社会的視点でみると、それって全く脆弱な組織なんだよ、と。