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最近は写真日記。

折り紙コーナー2日目

 午前中は授業があるので、参加できるのは午後からではあるが、今日も折り紙を教える。先日から気になっていたのだが、イタリア人が折り紙を折る場合、出来上がりのほとんどが美しくない。鶴にしてみても、首が曲がっていたり、羽が捩れていたり。もちろん隣で教えながら「はじっこはピッタリ合わせて。こう、ね」とやって見せてはいるのだが、彼らは出来上がりが待ち遠しくて、「うん、できたできた。次は?」と先へ進みたがる。
 日本では、折り紙は数学的要素に重点が置かれていると思うが、何よりも物事の基本を教えてくれる。折り始めから角をピッタリと合わせていかなければ、折り上がるものは美しくない。紙を半分に、ズレが生じない様に折る。たったそれだけのことだが、その時の美しさが、結局出来上がりの美しさに響くのだ。基礎ができなければ、応用ができない様に。応用からできる人間は稀だろう。
 逆に中国人に教えた場合、彼らは神経質に角を合わせる。合わなければ、合うまで練習するのだ。イタリア人はでき上がったものをどうにか美しく見せようとするが、中国人は折り上がってしまったものはそれ以上修正が効かないことを知っているようだ。そういった場合、中国人は作り直すが、イタリア人は不細工でもでき上がったものを持って帰る。
 これはもちろん全てのイタリア人が以上の様であるわけでもないし、中国人にも例外がある。ただ僕が一通り見たところ、折り紙一つにしても、それだけのお国柄が出る。どうやら折り紙コーナーも木曜日には終了するらしいので、後2日しかないが、リピーターイタリア人、中国人の上達ぶりを観察できるのは楽しみである。