apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

2004年イタリア最後の夜

 何だかんだとやることが多く、結局一日中駆けずり回っていた。僕と同時期*1にイタリアに来た日本人は2年を越えているために、滞在許可証の関係などもあり、今年中か年明けに帰国する知人が多い。またペルージャ映画祭も15日が最終日なので、いつ呼び出されるかウカウカしていられなかった。
 以前から考えていたiBookの売却。イタリア人の何人かが欲しがっていたが、決断が遅いので結局日本人に売った。iBook G3 500 384MB 30GB、おまけとしてTDKの外付けCDRWを入れて400ユーロ。日本円換算で5万4000円程で。ソフマップでは同型を8万以上で売っている様なので、取引としてはお互いにあまり損はないと思う。Macを持ってる友人には「は?400?安!俺が買ったのに」と言われる。
 尊敬している研究者が1人、日本に帰らなければならないのは寂しい。社会学から文化人類学に転向した人間なのだが、彼とコミュニケーションを取るのは、僕にとってはちょっとした試験を受けている様な感覚があった。彼の年齢は今年34だが、自分が彼の年に成る時に、彼の様な視点に辿り着けるとは考えられない。経歴からして正にエリートなので、通過点の位置が違い過ぎる。ペルージャでそういう目標に出会えたのは幸運だった。ちなみにペルージャでの彼のあだ名は「天才」だった。
 夜は2つのフェスタに出席。1つはイタリア人の大学卒業パーティ。2002年に知り合ったイタリア人が遂に大学を卒業。卒業後の進路は未定だというが、23歳で大学を卒業できる優秀さなので、仕事も直ぐに見つかるだろう。
 2つ目は、ペルージャ外国人大学のクラスお別れパーティ。僕はそのクラスに属している訳ではないが、日本文化週間を通して知り合いができたので、明日帰るのならば、とついでに呼ばれた。黒い雨の翻訳を手伝ったヴェネツィアの彼も出席。かなり酔っていて、何度も「ほら、いい加減、1回くらい男を経験しておくのも悪くないかもよ」と誘われた。結局帰り際に皆の前で唇を奪われるハメに。後から酔いの冷めた彼から「もう、本当にごめんなさい」と謝罪の電話があった。しかしそういう意味では、男でも女でもない人間とは初チューかもしれない。
 結局解散したのは夜中の3時だった。僕は朝5時半過ぎには家を出なければならないので、寝ている暇もない。他の友人達が「寝ない様に、手伝ってあげよう」ということで、僕の家に来て、冷蔵庫の残り物を片づけてくれた。結局の所、荷造りと言っても持って帰るものは日常品とiBook G4と外付けHDだけなので、手荷物よりも、トランクの方が軽い。トランクの中身はスカスカでほぼ空っぽ状態。ケーブルや、アダプター類だけでは怖いので、一応クッション材としてジャージを1枚入れて置いたが、衣類はそれだけである。
 送ってくれた皆さま、ありがとうございました。当分は会えなくなる皆さま、機会があったらまたペルージャで会いましょう。偶然が重なった時には日本で。ペルージャに残る皆さま。良いお年を。ブオナタ、メリクリ、アケオメが終わった頃にまた会いましょう。

*1:2002年10月