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最近は写真日記。

自分の中の「フツーのヒト」のイメージ

 id:KEN_NAITO:20050213#p2から、僕の中の「フツーのヒト」のイメージを。
 KENさんの指示では、

敢えて客観的に考えようとせずに, 「今まで勝手に抱いてきた主観」で

 ということなので、成長期に捉えていた「フツーのヒト」を思い出してみる。これはKENさんが「自分の生まれ育ったコミュニティに左右される」と書いている様に、その影響が大きく反映している。
 何度も書いている様に、僕の実家は自営業の果物屋である。僕が継げば4代目になるので、人に仕えるという感覚が代々欠けている。おまけに父親の代からは店舗を変え、70年代に代表されるマンモス団地内の商店街の中に店を構え、僕はその団地内に住む子供たちと共に育った。その当時、僕が抱いていた「フツーのヒト」とは、正にその団地内に住む同年代の子供達のことだった。
 その団地は15階建てでワンフロア20戸、それが15棟あるという集合団地である。この団地周辺には3つの小学校があり、棟毎に通う小学校が違う。原案井ノ原快彦、監督堤幸彦で、嵐のメンバーが出演したピカ☆ンチの状況は団地育ちを的確に表現している。
 団地住まいの親はほとんどがサラリーマンである。会社に務め、給料を貰っている。朝は子供たちと一緒に家を出、遅くても19時頃には帰宅し、子供たちと一緒に夕食を食べる。子供たちは学校が終われば1度帰宅し、塾に通ったり、遊びに行ったりする。例えば僕が小学校の頃親しかった子は、15時にはおやつがあって、家に帰り、17時にはチャイムが鳴り、それに合わせて帰宅する。父親の帰りを待って、20時前には食事をして、22時頃には就寝する。これは極端な例であって、共働きの家もあれば、父親が毎日残業で忙しい家もある。
 しかし僕と彼らの間で明らかに違ったことは、時間の使い方だった。団地住まいであるために、共有価値観を持ち、明るくても暗くても、17時のチャイムには家に帰るものだと彼らは考えていた。おやつの時間にしても、夕食の時間にしても、就寝時間にしても、家族間でバラつきがあるはずなのに、何故か団地住まいの子供達には暗黙のルールが存在していた。
 僕の場合、学校から帰ろうが、17時のチャイムが鳴ろうが、店は開いたままで、自宅に帰ったところで何もない。結局店が閉まる20時過ぎまでは1人で遊んでいなければならなかった。結果として当時の僕の頭の中には、「17時のチャイムで帰る人間はフツー」という意識が芽生えていたのだ。その裏側には、人から押し付けられた価値観で生活する人々に対しての嫌悪感があったのだろう。夏ともなれば17時でも十分明るい。それでも17時のチャイムはその子供達には絶対的だったのだ。
 これはもちろん中学、高校にも成ればそれぞれに変化が出てくるし、当てはまるのは小学校低学年頃までだろう。しかし僕の中で「フツーのヒト」という認識が生まれたのは、彼らの生活を見た結果である。その意識が今でも根底にあり、「フツーのヒト」と考えた時に、この感覚は切っても切れないものなのだ。