apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

一生もの

キラーチューン
作詩:椎名林檎 作曲:伊澤一葉

「贅沢は味方」もっと欲しがります負けたって
勝ったってこの感度は揺るがないの
貧しさこそが敵

贅沢するにはきっと財布だけじゃ足りないね
だって麗しいのはザラにないの
洗脳(わな)にご注意

ご覧、ほらねわざと逢えたんだ
季節を使い捨て生きていこう
夜も秋も盗めないよ
貴方は私の一生もの

贅沢するにはきっと妬まれなきゃいけないね
ちょっと芳(かぐわ)しいのを睨まないで
欲しがらないなら

「今日は一度切り」無駄がなけりゃ意味がない
絶対美しいのは計れないの
溢れ出すから

ご覧、険しい日本(ここ)で逢えたんだ
探し出してくれて有り難う
空も恋も騙せないよ
私は貴方の一生もの

 id:KEN_NAITOから、

本気になれる女に出会った

というメールが入った。彼の旅立ちの日で、しかも本来ならば既に日本にいないはずの時間での会話だった。
 今日の彼の日記では以下の様に書いている。

日本を出てくる直前に,1人の女に惚れた.正直に言って,アメリカ行きを蹴って日本でポストを探そうかと真剣に考えてしまったほど,惚れた.

 今まで好きなことをずっと続けてきた人間が、自分の進路を変えても良いと思える程の出会いは一生に一度あるかないかだ。他人から見れば「なんでそこで進路を変えるんだ」と理解できないかもしれない。そしてその相手も「なんでそんなこと言うの?」と不安になるかもしれないし、また「そんなんで変わってしまう進路なの?」と軽く見られるかもしれない。周囲の人間には「葛藤、あったでしょう?」とも言われる。
 実際は、複雑そうに見えて単純である。それは多分それまでずっと好きなことをやれていた自分があるからだ。自分「だけ」であれば、どうにでもなる。それこそ死ななければOKだ。自分の進路、人生は自分にある。しかし他人の人生は他人のものだ。繋がる瞬間など、そうありはしない。それでも繋がることができるのならば、自分の進路を修正するくらいで、一生ものを得られるのであれば、それ以上のものはない。好きなことを続けるために、自分の気持ちを犠牲にするのはナンセンスであり、矛盾が生じる。そこに美学を感じる人間が多い様だが、逆に僕にしてみれば、全てを巻き込める器があってこその好きなことだとも思う。二兎を追う者は一兎も得ない、かもしれないが、二兎を追わなければ二兎得ない状況ならば、追ってこその人生だとも思う。
 「自分の好きなことを続けるために、犠牲にしたものがあります」より、「自分の好きなものは全て手に入れました。幸せです」と言いたい。

贅沢するにはきっと妬まれなきゃいけないね
ちょっと芳(かぐわ)しいのを睨まないで
欲しがらないなら

 妬まれるくらいが丁度良い。欲しがらないなら、最初から好きなことのために他を犠牲にしているのであれば、自分の器を知れば良い。人生で一番大切なことは、身の程を知ることだ、と。
 ケンケンの物語はまだまだ続くのだろう。否、続いて欲しいと思う。僕の手にしていないものを彼が得ている様に、その時間で僕は彼の手にしていないものを得た。彼が自分の未来を掴んだ様に、彼女の手を掴んで放さなければ、良い。並んで歩くということが、どれだけ幸福なことか、きっとケンケン自身が実証してくれることだろう。僕は僕で、好きなことをやっていける幸せを実証するまでだ。
 年末に揃って会えることを楽しみに。なんだったら書類は僕が用意しよう。婚姻届という名の書類を。