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最近は写真日記。

高飛車で自分に自信あり、なおかつ甘えん坊

 高飛車は占いサイトに出てきた言葉。後者の2つは、職場の人の僕に対する第一印象らしい。高飛車と自分に自信がありそうは重なるが、甘えん坊に関して聞いてみると「末っ子っぽい」ということである。どちらにしても、どれも何だか良いイメージではない気がする。
 業務上、人に何かを指導する立場になった時、躊躇してはいけない、という気持ちが結果的に自分に自信がありそうと見られるのだろうか。「躊躇してはいけない」とは、大体において指導を請う時というのは、自分自信が既に躊躇しているため、指導者に躊躇があると何の解決にもならない場合が多い。概して言えば決断力なのだろうが、殊更仕事上の業務においてはルーチンが多い為に躊躇の余地はない。これがイレギュラーな事態だったり、学問だったり、高次元になると立ち止まり疑って再考することになるのだが、それはまた躊躇とは違う。
 ちなみに今の仕事は求人広告の制作なのだが、僕は印刷畑でもなければデザイン畑でもなく、素人レベルの知識しかない。逆に周囲の人間は業界のプロばかりで教わることばかりなのだが、そう言った事に臆していては管理者としては成立しない。なので「印刷業界のことは他の人間に聞いて下さい。僕ではわかりません。だけどこの社内ジョブに関しては僕に聞いて下さい。責任を持ちます」ということを言っている。
 自信がありそうに見える理由を聞いたが、「何がっていうわけじゃなくて、そう見えました。自分のことも好きですよね?」と印象的なものだという。断定的な口調で話を進める姿がそう見えたのかとも思ったが、それだけではなさそうだ。印象で、となると業務上でのキャラとはまた違った部分での人間性に由来する部分が多そうではある。甘えん坊に関しても同様の意見だった。「何がってわけじゃなく、そう見えた」ということである。
 自信がありそうで甘えん坊とは、全くもって手に追えないイメージだが、「悪いイメージではなくて、ただそう見えるだけ」ということである。人によっては「仕事はバッチ来い」と業務上での自信と、「仕事じゃなくて、人としての自信に溢れてる」と人間性での自信とに分かれ、まちまちであることは確かな様だ。
 自分ではどう思っているのか。自信はある。生きることに関しては。ただ仕事の専門的なことになると自信はない。知識と経験がないから。それ以外で知識と経験があることに関して、やはり自信はある。学問に関しては、まるで自信がないから続けている、と考えても良いのかもしれない。そういうところが甘えん坊なのかもしれない。うだつの上がらない内容である。