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最近は写真日記。

天地を開く

最終回の言葉(宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)より。

日本の若者はもっと個人として他国に出かけ、そこで自分の天地を切り開くべきです。先人が残した温もりの内輪で高邁な言葉を語る人よりも、一個人として世界中で活躍できる人の方が、個人、日本そして世界の将来を、明るくするような気がします。

 ネタとしては古いが、読んでからずっと気になっていた言葉である。別に海外に行った「から」というわけではないが、言葉が通じない、自分を知る人間は誰もいない、地理に対して全く無知、バスの乗り方も、電車の乗り方も、お金の使い方もわからない場所で生活を始めるのは、想像以上に大変な作業なのである。幼い頃から慣れ親しんだ英語ならば、その文化にしても想像可能であるが、それ以外の言語圏となると、そう簡単にはいかないだろう。
 個人が母国という殻を飛び出した時、初めてわかるブラインドがある。もちろん想像力があれば、そんな必要性もない。自分のコミュニティを離れるという、肉体的、精神的疲労の実際を想像できれば良いだけだ。
 自国を離れる。その実際を知っている(想像できる)か知らないかという差は、

人と人との出会い、人と何かの出会いというのが、つい数年前までは、物理的な制約でがんじがらめになっていたわけです。それが、物理的な制約を超えて、ネットによって、自分が面白いと思っていることと全く同じことを考えている人がここにいた、というような出会いがある。そういう経験の質というのかな、これを心から感じている人と、そういうことは全く経験もしたこともないし、考えたこともないという人の間には、すごく大きなギャップができてしまっている。
フューチャリスト宣言』筑摩書房

 それと同様のギャップが生じているだろう。ちなみに『フューチャリスト宣言』では、色々と気になった部分があった。

同時代の権威に認められるからという理由だけで何かをしても、未来から見て全くナンセンスなことに時間を費やし一生を終えるリスクを背負っているということだ。
同時代の常識を鵜呑みにせず、冷静で客観的な「未来を見据える目」を持って未来像を描き、
その未来像を信じて果敢に行動することが、未来から無視されないためには必要不可欠なのである。
フューチャリスト宣言』筑摩書房

 内容的にはただのポジティブシンキングなのだが、「未来から見て」という視野の意識付けは面白い。
 話しが逸れたが、宋文洲の言葉を読んで最初に思い浮かんだのがid:KEN_NAITOである。そしてまた、『フューチャリスト宣言』の「出会い」に関しての記述で思い浮かんだのもid:KEN_NAITOである。
 僕は海外での生活がトータル4年以上あるにも関わらず、「自分の天地」を切り開けていない。4年という年月を長いと見るか、短いと見るかはそれぞれだろうが、僕としては、少なからずでも「自分の天地」を切り開けていない状態は好ましくない。そういう点では、僕は未だに「自国を離れる。その実際を知っている(想像できる)か知らないか」のラインに留まっているだけなのである。
 はてなでけんけんと知り合ってから3年近く経とうとしている。彼は既に博士となり、また新たなステージへの一歩を踏み出している。僕は研究においてまるで結果を出せず、今は停滞期にある。停滞期をネガティブと捉えるかポジティブに捉えるかはそれぞれだが、その他の部分で今までに無いスピードで変化が続いている。彼の3年と僕の3年ではまるで質が異なっており、しかも出会った頃の僕と現在の僕を比べると随分とアカデミックな世界から遠ざかっている。それにも関わらず、けんけんと僕との距離は縮まった気がする。一重にけんけんの行動力に依るところが大きいが、ネットでのちょっとしたトラックバックから始まった僕らの関係は、いつの間にか切っても切れないような関係になっている。例えば僕らが仲違いをしても、間違いなく3月11日にはお互いのことを思い出すだろう。ある種の呪いとも言えるが、それは今のところ良い方向に向いている。
 研究者として彼がいるステージにたどり着くには、僕には倍以上の時間がかかることだろう。が、辿り着くことは確実ではある。なぜなら、それは僕が決めることだからだ。今はまだ、はてなが僕らの共通の場として存在しているが、アカデミックな世界においてもそれを成立させて見せよう。それまでは僕ははてなのain_edで我慢しよう。
 行ってらっしゃい、Dr.KEN NAITO。Buon viaggio, buon studio e buona fortuna! A presto...