バイバイ 日産セレナ C25
3回目の車検を前に手放す事となった。2008年の9月に納車されてから、6年間で最終走行距離は55,000km。平均燃費は8.5km。大きな故障もなく走ってくれました。
6年間で僕らの生活も大きく変化した。家族が増え、引っ越して、転勤?して、奥さんは学校を卒業し働いている。子供たちもチャイルドシートを卒業し、長男・長女の2人はランドセルを。通勤前の保育園送りは、末っ子だけとなった。
家族の成長に比例し行動範囲が広がった。高速に乗る機会が増えると、さすがにセレナの非力さが目立ち始めたのである。
思い立って色々な車を見に行き試乗をしたが、逆にセレナの完成度が際立った。定員・車幅・ラゲッジスペース・ユーティティ・税金対応、そしてノンメンテナンスでも安心して乗れる国産車。日本車って素敵なんだな、と改めて認識。
日産の営業担当の方も、無理ばっかり言ってはいろいろと調整してくれて、細かいところまで面倒を見てもらえました。
当時としては最新のアラウンド・ビューに、自動テールゲートと盛りだくさんの機能だったけれど、今まで家族を乗せて安心・安全に走ってくれてありがとうございました。
バイバイ、セレナ。
個からユニットへ
新年度早々、ちびジュニア(長女)が熱を出す。小学校への入学は来週に迫り、学童トライアル期間でもある。生憎と奥さんも入社3日目で思いっきり研修中。僕もタスクと打ち合わせを抱え身動きが取れない。結果的にご近所さんが迎えに行ってくれて、ジュニア(長男)と共に帰宅することができた。結果的には夫婦揃って仕事場に拘束となり、子どもの元に駆けつけられない事態である。
久しぶりに同級生と会って言葉に出来ない感情を抱く
独身と所帯持ち(子有り)の差異は何だろうか。その昔、僕も子どもを持つことによって個人の自由が制限されると勘違いしていた。いや、現実的には個人の時間は制限されることは確かである。
しかしイタリアで生活する中でその考え方が根本から変わった。僕が学ぼうとしていた社会科学は、人間に関することである。何より歴史は、人が人を生んで紡いだ記憶である。果たして子どもを育てずにその現象を感じることはできるのだろうか、という疑問が端的に浮かんだのである。
結論から言えば子を持ったのは自分のためでもある。自分の思考を拡張してくれる。何よりイタリアでは個で行動するよりも、ファミリーというユニットで行動する方が物理的な行動範囲を拡げてくれた(大陸の方々は家族、それも大家族で移民するケースが多く見られるけれど、リスクヘッジと個の自由性の担保があるのでは?と深読みしてしまう)。
『彼女に超進化を強いる社会環境がおぞましいく思える』は逆転している。望んだ結果、環境が変化したのだ。そういったことを事前に想像できたか、想定していたかは別として、少なくともコミュニケーションをせずに子どもは育たないし、旦那さんが自然に食器を洗ってはくれない。それは結婚をしたからでも、子どもができたからでもなく、その前提を双方が認識し、コミュニケーションの結果、家庭に他者を呼んでも運営ができる仕組みを構築した結果である。
誰もが結婚して子どもを持つとそうなるわけではない、というのが上記の『社会環境』の節の反証となる。
同期の年下が4月末で退社する。結婚して3年程度経っているが『子どもを持つとやりたいことができない気がする』とこぼした彼に、「子どもがいてもやりたいことができないのは、君がまだその地平に立ててないって事だ」と我が身を振り返る言葉を贈った。何かの所為にしてできていない、という事実と、それでもできている人の差は、何かを成し遂げた後の結果を大きく変えると思っている。
新たな旅路を
1982年に始まった笑っていいともが32年の幕を閉じた。32年間という月日を身近に置き換える。奥さんが実は同い年である。いいともと歴史は違うが在籍5年間の専門学校を卒業し、この春看護師と保健師の国家資格に合格した。
結婚し、3人の子供を育てながら通学し、実習に通い、同時期に行われる国家試験に同時に合格した。そして4月1日からは看護師として、公務として職に就く。結婚さえも見えていなかったときに、「いつかは看護師」の夢を叶えたのである。
学校に通いたい、と聞いた時に僕は大学に行くべきだ、と伝えた。専修学校はクラス単位で動き、就職率を向上させるために、結果ボトムレベルに合わせないとならず、きっとストレスになると考えていたからだ。僕も専門学校に通っていた事があったが、それぞれのモチベーションがバラバラにも関わらず授業の進行は出席単位に依存していた嫌な記憶があったからだ。大学であれば、特に専門課程であればモチベーションがある程度担保される、と思っていた。
案の定、通学している数年で幾度か人間関係の問題にぶつかっていたかと思う。クラスメイトや、運営・体制側との摩擦に、資格勉強以外の時間を割かれていた。慣れない学校生活に、試験勉強以上にストレスを感じていたはずである。僕も月日を追うごとに会社に拘束される時間が増え、休みもままならない日々が続いた。子ども達は保育園から小学校に上がり、環境への適応を余儀なくされていた。以前の様に手広く人と会う事が制限されたが、それでもネットというインフラがその関係性を支えてくれている。
結果的に、僕の周り道が成就した。また一つ足場が固まった。それを成し遂げたのは奥さんの執念深さがあったからこそである。もちろんこの数年、漫然と仕事をしていたわけではない。社会科学が一般企業でも役立つことをある程度照明することができた。
さてまた新たな旅路、まずは5年を進もうと思う。僕も、僕の家族も、そして奥さんも。合格発表を聞いた時、まるで自分の夢が叶ったかの様な錯覚だった。この数年の忍耐から解放される様な、目の前にまた新たな希望が現れたような、身が軽くなる思いがしたのである。
合格、そして就職おめでとう。次は僕の番なのである。
Good bye 2013, Hellow 2014, and New Life.
餌付け3兄弟。
魚足湯。
意外と崖っぷち。
草原の末っ子。
自転車に乗りましょう。
シズクちゃんを意識します。
見つめているのは跳び箱。
飛びます。
トラの様に。
母親の運転におびえる末っ子。
姉妹。
虹がかかったよ。
一緒に乗ったら目が回った。
いつか恐竜に乗りたい。
ピザーラに就職しました。
若干、就職には迷ってます。
ジャーナリズムって大変。
この後デッドボール。
3人を今年も宜しくお願いいたします。