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最近は写真日記。

関東と関西

 律令制下では3関、平安では逢坂の関、中世以降は箱根の関が東西の境で、東京地方を関東、京阪神地方を関西と呼ぶようになったのは江戸以降だろう。僕がオーストラリアで会った日本人は関西人が多かった。僕は思いっきり関東人で、話しをしていると「東京の人間て」という言い方を良くされた。イタリアでも関西の人間に会うが「東京の人間は」という呼び方をされることが多い。
 東京で吉本など関西のお笑いが進出してきたのはここ10年くらいだろう。僕も小学校の時にはとんねるずだったが中学校ではいつもダウンタウンを見ていた。そして初めて関西人のコミュニティに接したのがオーストラリアの時。高校生の時だから吉本全盛だったし、新しい波やとぶくすりが関東で放送されていた。テレビでは関西のお笑いは笑えるが、現実に目の前でやられても面白くなかった。ボケとツッコミがしっかりと居るのはわかるが、ほとんどの場合内輪の笑いであって僕にはわからなかった。わからないと「笑えや」とか言われてしまう。面白くないものは笑えないのであって、面白ければ普通は笑うのである。別に「何すかしてんねん」とか言われても「いや、つまらないから」と返せばただ機嫌を損ねるだけである。どうやら関西人には自分たちが面白いという思い込みがあるようだが、本当に面白ければプロになっているだろうし、趣味でお笑いをやられてもコミュニケーションが取りづらいだけだ。
 標準語と言うと「東京弁いえや」と言われるし、「だよね〜」とかバカにされる。僕が会った関西人のほとんどが明らかに関西と関東の区別(それはほとんど差別意識)を持っていて、必ずと言っていいほど、彼らの対象は東京というものであった。東京を仮想敵国にでも思っているのか、東京に住んでいる人間は皆面白くないと思っているのか、とにかく東京と聞くと待ってましたと言わんばかりで「東京の人間て」と始まる。逆に関東の、彼らの言うところの東京の人間は関西を意識していない。それはまさに阪神ジャイアンツを意識するものの、ジャイアンツは阪神をあまり意識していないという感じに似ている。もしくはサッカーで韓国は日本に対しては他国以上に敵対心を見せるものの、日本人として「ああ、また韓国か」くらいにしか思われていないといった感じだろうか。ちょっとした片思いとでもいうのか。
 イタリアに来て感じたことは関西人はイタリアに似ているということだ。イタリア人は大学にしても日常にしても同郷の人間でコミュニティを作る。僕が会った関西人の場合も必ずといっていいほど同郷でかたまり、他を寄せ付けない。そして保守的で、柔軟性に欠けるようだ。変にプライドが高く、感情的であるというのも加えておく。僕は何度も関西に行っているし、基本的には関西が好きだ。大阪、神戸、京都、奈良でそれぞれの言い分があるようだが、どちらにしても彼らの標的が東京であることは間違いない。
 関西人が何にコンプレックスを感じて関東人を標的にしているのかわからないが、他者を否定して自己を肯定したり、笑いをとるというのが文化であればそれはもうしょうがない。しかし阪神・淡路大震災後、そこから立ち直ることができるのであればこれから日本を引っ張っていくのは、そこで生き残った人々なのだろうと感じたし、僕がただ面白い関西人に会っていないだけで面白い関西人が本当に居るのかもしれないという期待もある。また弱気な関西人だっているだろうし、東京が標的ではなく、世界に目を向けている人もいるだろう。できれば世界に出てまで「東京の人間て」とは言われたくないものだ。
 語弊のないように言っておくが、僕は関西は好きだし、僕の中にはもともと関東とか関西という強い意識はもともと持っていなかった。ここでの範囲はあくまでも僕が今までに出会った、自分が面白いと勘違いしている関西人に対してであって、それ以外にはいくらでも僕が尊敬している人がいるので誤解のないように。また関東人が優れているというわけでもない。