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最近は写真日記。

オーストラリア語学留学:その3

 4月からの3ヶ月間はハイスクールコース、つまりはオーストラリアの高校に入りたい外国人学生用のコースに僕は通っていた。クラスメートの半分以上はタイ人。他には台湾人とインドネシア人、韓国人だった。日本人は僕1人だけだった。平均年齢は15歳くらいで、僕は最年長だった。95年当時ではまだタイ人、台湾人、インドネシア人にしても自国で英語を学んで来ている学生は居なかった。日本人は中学3年間で、ある程度の文法を学習するが、その時になって初めて日本が他のアジア諸国に較べて、十分に英語教育に力を入れていることを実感した。もちろん力を入れてはいるが、その方法が正しいか否かは甚だ疑問だが。
 朝の8時45分から授業が始まり、50分授業でみっちり16時45分まで授業がある。昼食も1時間ほどで、いつもは校内にある食堂で昼食を済ませていた。値段などは覚えていないが、食事はオーストラリア料理というものではなくてコンチネンタル料理だった。授業内容としては、文法、演習、作文、討論、レポート制作など。オーストラリアの政治、文化、歴史なども日本の中学社会と同範囲で学ぶ。僕は出席しなかったが金曜の午後には数学の授業もあった。土・日は休みで、日本の高校は未だに週休2日制を導入していなかったので、旧課程組の中では異例的に週休2日制を体験できた。
 文法書は日本の紀伊国屋でも買えるもので、Murphyという名前の本だった。授業中は英英辞書の使用しか認められていなかったので、Oxfordのペーパーバックの辞書を使っていた。タイ人の学生はほとんどが裕福な家庭の子供たちで、着ているものや持っているものまで高価なものばかりだった。彼らのほとんどが紙辞書ではなく、電子辞書を用い、カセット式ウォークマンしか持っていなかった僕の前でCDウォークマンを何気なく使っていた。
 教師は1人で生徒は10人も居なかったと思う。コの字型に机を並べ、先生は必ずのその中心で授業をし、話題があれば一人一人必ず発言させた。もちろん授業中の自国語の使用は厳禁。発音から文法まで厳しく直され、毎日作文、もしくは日記の宿題があった。それ以外に文法書やプリントの宿題があり、帰宅して夕食を食べた後は直ぐに宿題に取りかからないと時間が足りなかった。ホームステイ先から学校までの交通の便が悪く、朝の6時には起床して7時前のバスに乗らなければいけなかったからだ。また授業終了後は直ぐにバスに乗らなければ夕食に間に合わないのでハイスクールコースに通う3ヶ月間は、学校とホームステイの往復で日常が閉じていた。