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最近は写真日記。

情報もしくはインターネット教育

 小中学校のインターネット教育の現状はどうなっているのだろうか。2002年に99.5%の公立校にパソコンが設置されて、2005年には全ての教室でインターネットに接続できる環境に成るという。日本におけるITの問題点がそこに露呈している気がする。PC=インターネットという考えと、ネット端末=インターネットという考え方だ。PC世代とネット世代と分けるらしいが、iモード以降の世代とそれ以前では明らかに差がある。もちろん世代論だけで括るつもりは無いけれど大局的に見てもそれは顕著だろう。
 今の教職員はPC世代どころか、「パソコンなんて」という方々もいるだろう。逆にネット黎明期からPCを使いこなして来た方々もいるだろう。しかし個々の教職員の力だけではどうにも成らないのが日本の教育であって、結局のところ文部科学省の意向が左右する。その結果がインターネット教育=PCの設置、全ての教室でインターネットに接続というものだ。実際のところPCが無ければインターネットに繋げられないような時代っていつだったか。
 掲示板にしてもメールにしても、利用者は携帯とPCどちらが多いのか。特に小中学生においては、携帯でのネット接続率の方が高いだろう。それならば手っ取り早く携帯を使ってインターネット教育でもやれば良いものを、PC設置〜ネット接続なんてことをやるから間ができる上に、本質を捉えていない。インターネットが使えるか使えないかが問題なのではなくて、インターネット上での倫理観が問題なのだ。子供たちは大人たちの遙か前方を歩いている。
 コミュニケーション能力の低下、読書をしなくなったというが、彼らは毎日メールを送り合って、チャットして掲示板に書き込んで、HPを覗いて、しっかりと文字を読み、字を書いている。それはコミュニケーション能力の低下ではなく、変化で、読書をしなくなったのではなく、活字媒体が変化しただけのこと。自分たちの言葉が通じないから、コミュニケーション能力が低下したというのは愚の骨頂なのではないだろうか。それこそコミュニケーション能力の低下だ。
 僕が家庭教師をしていた女子中学生は、中学1年次には既にVaioを操り、メールとチャットを日常的に行っていた。特に彼女がパソコンに詳しいわけでもなく、パソコンが好きだというものでもない。彼女の周辺では、ネットにさえ繋ぐことができればパソコンでも携帯でもどちらでも構わないという意識が根づいていた。ネットに繋ぐことは、食事やシャワーを浴びる様な自然な行為になっている。逆に教育者側には、そういう意識、ユビキタス意識はないだろう。日常とネットに境目がある。インターネット教育とITが必要なのはそういった方々だ。