apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

冷静と情熱のあいだにあったもの

 Cosi CosiさんのHPを覗いて久しぶりに思い出した、冷静と情熱のあいだ。原作を読んだのは、まだ日本の大学で3年生の頃だと思う。その当時、関係が気まずかった彼女に薦められて読んだ本だ。辻仁成の作品は、それ以前にほとんど読んでいたが、江國香織の作品に触れるのは初めてだった。江國香織の本が好きだという子が周りに多く、話しを聞く限りは、僕は吉本ばななの方が好みだと思っていたので手を出していなかったのだ。
 言われた通り、江國香織の冷静と情熱から読み始める。絶対に男性が書いたらくさくて、照れるような台詞をスラスラと続けていく。辻仁成の方は、僕にとっては江国カオリの話しのオプションでしかなかった。これは最初にどちらを読むかで、かなり分かれるかもしれない。辻仁成の作品を読み尽くしていた分、彼の表現方法に飽きが来ていというのも否めない。ただ辻仁成に限らず芥川賞を取った作品はどうしても読む気にならず、海峡の光は読んでいない。ちなみに江國香織の作品もそれ以来読んでいない。
 映画も観に行った。確か渋谷だったと思う。ロードショーが終わる頃になってようやく観に行くことができた。原作を映画化という時点で期待はしていなかったけれど、アオイがケリー・チャンで、しかも辿々しい日本語で「ワタシハ、シアワセニクラシテイルワ」というシーンは僕らの間では一時期、流行りのネタだった。竹野内豊篠原涼子の配役は、ケリー・チャンに較べれば僕の中のイメージに近かった。1番イメージから外れていたのは、ケリー・チャンの恋人役だ。あれは誰だったんだいったい。
 実はこの映画に出演していたある俳優さんとは知り合いで、まだ原作を読む前にこんな話しがあった。「そうそう、今は竹野内くんと映画を撮っているんだけれどね、彼は良い青年だよ。なんだっけなぁ、映画の名前。本が凄い売れているはずから」なんて会話を忘れていて、映画を観てびっくりした。そんな役で、竹野内豊を良い青年と言っていたのか。彼が演じたのは、冷静と情熱のあいだに出てくる登場人物の中で最低の人間の役だったのだ。
 フィレンツェのドゥオモに初めて登ったのは2002年の11月だった。たまたまこっちで知り合った友人と観光でフィレンツェに行き、その時に登った。登った感想は、落書きが酷かった。様々な国の人が落書きをしているのだが、嫌でも日本語が目に入る。特に2000年周辺のサインが多く、日本人総ヤンキー化現象か?と勘違いしてしまう。ヴァチカンのドゥオモに登った時もやはり日本人の落書きが目に付いたけれど、確かに日本で観光していてもそこら辺に落書きがあったことを思い出した。「らくがき、カッコ悪いよ」とか前園がCMをしたら、少しは減るかもしれない。
 次に登ったのは2003年の3月。大学の卒業旅行で日本から来た後輩と一緒に登った。彼はバックパックを担いで登ったので、クーポラに着く頃には疲れ果てていた。彼も冷静と情熱のあいだの原作を読み、映画も観ていたので、息を切らしながらも、「ジュンセイ、ワタシハ、シアワセニクラシテイルワ」とほざいていた。彼も過去を思い出していたに違いない。
 帰国した時には、もう一度ビデオでも借りて観てみようかと思う。冷静と情熱にしても、世界の中心にしても、純愛ものがこれだけ売れるということは、日本人は恋愛欠乏症なのかもしれない。世界の中心*1には愛があって、冷静と情熱のあいだにあるものもきっと愛なのだろう。

*1:世界の中心で愛を叫んだけもの:エーラン・ハリスン、世界の中心でアイを叫んだけもの:庵野秀明があり、僕は庵野の愛とI(私)をかけたものが好きだった。それにしてもこれは著作権法違反にはならないのか?