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最近は写真日記。

少年情報探偵団(仮称)って何?

 若年層を対象としたプロジェクトらしいが、既に少年って限定してる時点で先行きが不安だ。予備調査で「ネット利用中に、誰かを殺したいと思ったことがあるのは39%」という結果が出たらしいが、男女157人だけのアンケートで、しかもネット上だけでってこれもまた先行きが不安だ。いくら少子化だからって157人だけのアンケートだけで、誰かを殺したいと思ったことがある39%なんて公表して欲しくない。できれば最初にしっかりと157人中61人がと断りを入れて欲しい。
 誰かを殺したいと思ったことがあるという質問も、明らかに佐世保の小6女児死亡事件を意識している。僕は間違いなく、ある。人を殺したいというのは人間として自然で純粋な意識だろう。殺したいと思わないよりは、殺したいと思いながらもそれをコントロールする術を習得している人間の方が遙かに成熟している。インターネット教育、子育ての資質にも繋がることだが、ハエや蚊、アリを当然の様に殺しておいて、「じゃあ、どうして人間は殺してはいけないの?」という質問に答えられない親の世代が増えているんだろう。
 宗教があれば説明は容易だが、日本には共同倫理観を規定し得るものが存在しない。結局は各家庭、各学校の教育に依ることになるのだろうが、その結果がこの現実だろう。小中高生の犯罪が近年多くなっているというが、それは本当だろうか?反社会学でも取り上げられていたけれど、戦後の団塊世代の方々が未成年だった時代の方が、若者の犯罪は現在に較べて圧倒的に多かったのではないのか。そういう方々に育てられた結果、90年代に入って若者の犯罪が多くなったという方が納得が行く。
 佐世保の事件、カッターで頚動脈を切ったというが、本当は首を落としたかったように思えて仕方がない。というのも、例えば自分が人を殺す時のイメージというのは、客観的に観ても「人を殺している」というような残虐な場面しか浮かんで来ないからだ。加害者は被害者の死も確認していたようだが、純粋な殺人者だ。森博嗣が嫌というほど、赤緑黒白の中で殺人を犯す人と、犯さない人の差を書いていたが、今回の事件は正に純粋な殺人行為だろう。
 佐世保の事件で、書こうと思ったことは、インターネット教育と、子育ての資質、そしてこの少年情報探偵団。本当だったら、メディアの取り上げ方、加害者と被害者、プライバシー、少年犯罪と法など色々とあるだろうが、日本に居ないので情報が手に入り難い。手に入ったとしてもきっともう、これ以上は書く気がしない。代わりに日本の大学1年次、僕がまだ10代だったころのレポートが残っているのでそれを上げてみる。科目は日本国憲法で、400文字以内で時事ネタを取り上げろということだった。

 「壊れゆく日本」メディアでよく見る言葉だ。これはピンとこない。今までは正常だったのか?政治家は当然のごとく金に溺れ、全てが年功序列で、生も死もリアルでない国。それを常識に生きてきた人々は、子供が大人を殺す現実に慌てふためき、蓋をしようとする。私には、子供と大人の区別の仕方さえわからない。
 ガキの頃に「大きくなったら何になるの?」と聞かれ、「僕は僕にしかならない」と答えた。子供は大人にしかならないと信じている人々。彼らは、「水を飲む」という本質的な行動に、「どんなコップで水を飲むのか」で、その人の価値を判断する。そのためのお金。上等なコップを買うための経済政策。両腕がもがれても、彼らはコップで水を飲むのだろうか?
 それらの全ての元凶は、日本の教育システムにある。つまり日本国憲法における教育の義務がそれだ。(原文まま)
 
 こんなレポートで優をくれちゃう大学もどうかと思うけれど、今読んで見ても、当時から成長していない自分に凹みます。