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最近は写真日記。

青空文庫と電子書籍

 青空文庫にはいつもお世話になっていて、入力者の方々には感謝の言葉しかみつからない。著作権の切れた作品をデジタルに変換し、公開していく。夏目漱石芥川竜之介太宰治宮沢賢治またトルストイコナン・ドイル、果ては紫式部まで入力作業が済んだ作品が順に上げられている。それらの作品であれば古本屋に行けば50〜100円で手に入るものばかりであるが、無料でデジタルテキストとして共有されているということが何よりも素晴らしい。
 一時期、デジタルか紙かで問題になったこともあるが、e-mailが日常的になった今では、当時のハードルは乗り越えたと考えても良い。ネット上で音楽を購入しダウンロードする消費者は、特にネットに固執するわけではなく、CDも同様に購入する傾向にあるという。僕も青空文庫で読んだ作品を古本屋で見つけたりすると気になって購入してしまう。紙媒体を凌駕するようなものがこの先出てくるとは思えないし、電子書籍にしても紙媒体があって初めて成立するものだ。
 日本では電子書籍端末が色々な意味で話題になっていたが、わざわざ専用端末を高価な値段で売り出さなくても良いのではないか。最近では新刊にしても電子書籍として購入できるのでそのプロテクトのためだろうが、本の形に捕われる必要はない。携帯電話でも良いし、iPodでも良い。本の形に捕われないための電子書籍なのだから、デジタルテキストの流用性を生かすべきだろう。
 青空文庫が切り開いてきた電子書籍の歴史は社会でもっと認知されるべきだ。形を変えても作品としての本質は残る。重要なことは組版ではなく、文章そのものの美であるという思想が根づくような社会が、これからの情報化社会を生き抜いていける社会なのだろう。水はどんなコップで飲もうが水である。Aと書こうがaと書こうが、その本質は変わらないのだから。