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最近は写真日記。

恋愛成績表と大人力診断

 恋愛系診断テストは、僕はどれも評価が低い。逆に大人力診断など、社会性に関しては平均点以上は取れる様だ。これは単純に見れば対個人成績は悪いが、対集団の場合は受けが良いということになる。自営業の家系で店番をしながら育ったが為に、結果的に社会性を鍛えるということに繋がったが、営業スマイルに慣れ過ぎた為に他人と深く接する機会から遠ざかったと考えられる。
 これは小学校、中学、高校時代を振り返って見ても頷ける点はいくつもある。小学校の頃は担任や周囲の大人に良く思われたくて猫を被っていたが、同級生からは煙たがられていただろう。中学に至ってはそのバランスが取れなくなり、集団に属せず、個人間でのコミュニケーションに四苦八苦していた気がする。高校では何とかバランスを取ろうとしたが、営業スマイルが仇になり、知人は増えたが友人は上手く作れなかった気がする。これは部活や、恋愛などを通して経験値を上げられた。
 大学ではある意味退行した気がする。それは多分自分の好きなことができるという反動だったのかもしれないが、人生の内で一番自分の殻に閉じこもった瞬間だったろう。それでも集団の中にあればその役割をこなしていたと思える。逆に対個人になると、特に恋愛問題になると、いつもその対象を蔑ろにしていた。つまり自分のしたいこと、換言すれば自己愛が邪魔して、自分以外の対象には向き合えなかったのだ。
 一見すると社会性と個人間のコミュニケーション能力は比例している様にも思えるが、僕の場合においては、それは反比例する様だ。つまり社会性が発達したのは、「自分が良く見られたい」為であり、それは自己愛の成せる業である。逆に恋愛を蔑ろにしてしまうのは、対象に対して、愛を注げる余裕がないからである。もしくは社会性、つまりは集団からの評価と個人からの評価を比較した場合に、漠然とした数的優位に囚われて、集団からの評価を優先する傾向にあるようだ。
 結論としては、僕の深層にある社会性の対象は、顔の見えない多数であり、その集団は顔の見える個人よりも、自分を保つための道具として価値があるものだと見なしていると言えるだろう。それが僕の処世術であり、その根本にあるものは自己愛以外の何ものでもないようだ。
 ぶっちゃけて、大人力診断の石原壮一郎が誰なんだって話しだし、こういう理屈っぽいところがモテない原因なんだけれどね。しかし、モテねぇなぁ。