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最近は写真日記。

留学するとゆーこと:ビバ★ブッダァ

 id:KEN_NAITO:20050330#p1の「留学するとゆーこと」より。テーマは上がっているものの記事はまだ上がっていないので、その影響を受ける前に、ちはるさんの「大泣き」を読んで、僕が感じたことを。
 僕にとっての留学は「留学とは、海外とは何でしょう?」id:ain_ed:20040928で触れているので、それを前提条件にする。語学、仕事、スポーツ、研究、留学の種類は様々だが、2つに大別できるだろう。例えば仕事先、研究先が決まっていたり、合流するチームが決まっていたりすると、留学先と目的が固定されている。これは既に「選ばれた状況(留学)」である。逆に語学を学びたい、そこで仕事ができれば良い、イタリアでサッカーをしたい、では留学先と目的に幅があり過ぎ、例えばイタリア国内であれば何処でも良いという状況に成る。英語に至っては、英語圏であれば何処でも英語は学べる訳で、留学先は自分の好みで変えられる。これは「選べる状況(留学)」である。
 ちはるさんのページにはプロフィールが無いので、何を目的に米国に留学されているのか僕にはわからないが*1、友人の「It's your fault.」という反応は、マイケル・ムーアちっくで面白い。ちはるさんは、「アメリカ人(特に白人)」について好き嫌いを指摘できる程に、その留学期間内で自分なりにアメリカ人の特徴を捉えている。

なんでも自分たちが中心だと思ってる。他のグループのことを気づかわない。留学生を気にかけない。英語が流暢に話せないから頭も悪いと思っている。

 これは僕も留学中には良く感じることだし、留学経験者は誰しもが1度は感じることだろう。オーストラリアに居る時は、語学留学で自分の専門が無い為に、コミュニケーションの場と成るものが無かった。なので英語を話せれば良いとしか思っておらず、コミュニケーションではなく、会話をただの語学練習程度にしか考えていなかった気がする。結果として「彼らと距離があるのは、自分の語学力の所為だ」と勝手に会話を閉じてしまう様になった。また「英語が流暢に話せないから頭も悪いと思っている」というのは、この頃良く感じたもので、僕は「語学ができない為に、まるで赤ちゃん扱い」と感じたのだ。
 イタリアでは既に専門が決まっているので、イタリア語が流暢だろうがなかろうが、専門知識の有無に依って、コミュニティの質が変わってくる。そのため日常会話にしても、自分の「場」と成るものがあるので、イタリア語を話せるか話せないかはあまり問題では無い。言ってしまえばコミュニケーションが取れれば英語でも良いので、語学にあまり執着していない。つまり「語学ができない為に、まるで赤ちゃん扱い」はされないのだ。
 コミュニケーションの場、つまりは専門なり、仕事なり、共通意識が確立できないと語学ができても、コミュニケーションにズレが生じる。これは海外だろうが日本に居ようが同じだ。日本語を話していても、コミュニケーションが取れているかどうかはわからない。その為に「場」が必要なことは以前にも書いたことがある。
 つまり「選ばれた状況」の場合、留学先、目的、そしてコミュニケーションの「場」が明確である。逆に「選べる状況」の場合、留学先、目的に幅があるため、コミュニケーションの「場」が安定しない。
 ちはるさんは、

意見を求められても、相手に理解してくれるよう助けを求めて、自分で精一杯説明しようとする態度を見せていないところ

 が、友人を苛立たせた原因だろうと書いているが、そういう態度を取る様になった原因は、別に日本人コミュニティとの距離が近く成ったからでは無いだろう。多分id:KEN_NAITOさんがここら辺を突っ込んで来ると予想しているので、あまり触れずに置こう。視点としては「日本人コミュニティ内のアメリカ人イメージ⇔ちはるさんのアメリカ人イメージ⇔ちはるさんの友達の[日本人の友達と過ごすのは心地いい]という指摘と、結果としてのIt's your fault」とか。どうかな?
 結局の所、留学することに依って明確になるのは、自分が拠り所とするコミュニケーションの「場」が有るか無いかだろう。自国では同じ文化、言語を背景とするために「わかったつもり」に成っていたものが、他国に出ることに依ってそういった背景が失われ「わからなく」成ってしまう。理解しようとする姿勢が大切なのは、他国語だからではなく、自国語でそれが最も発揮されなければ成らないはずなのだ。「他国語を知らない者は、自国語を解することはない」という言葉に対しての、僕なりの認識を「語学の習い方」id:ain_ed:20040419でも書いたが、その考えは今でも特に変化していない。

言語は比較して初めて理解できるものだ。それは言語学的な見地と習得法の違いに因る。自分がどのように日本語を習得して、日本語を基準にしてどのようにアイデンティティを形成しているのか。それを理解するための手っ取り早い方法は留学である。他国で0から他言語を学ぶ時に自ずとその答えが見えてくる。母国語を疎かにしていた人間は、他国語もそれ以上には延びないというのが僕の持論である。

 僕にとって「留学するとゆーこと」は、そういうものなのである。

*1:過去ログを読めば済む話ですな、すみません