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apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

感情と情報

ビジネス 雑記

MORI LOG ACADEMY 感情で情報を遮蔽するより。

 それにしても、情報を客観的に受け入れることがそんなに難しいだろうか。現象を見るだけだ。人の話を聞くだけだ。そして、内容を捉えれば良い。それなのに、その現象の原因や影響の方がさきに気になったり、酷い場合は、言い方が嫌いだとか、どうしてこんな大変なときにそんな発言をするのか、といった自分の事情を持ち出す。余計なことに囚われ、勝手に感情的になる。頭に血を上らせて、肝心の情報をまるで自分の中に入れようとしない。その感情だけを記憶し、内容をまったく理解しないまま捨ててしまうのだ。それでは、たしかにデータは蓄積しないだろう。経験を積んだと思っていても、偏見に近い感情を覚えているだけで、参考データを持っていない人間が出来上がる。損をするのは、そういう人たちなのである。
 といった話を書くと、「それは成功したから言えることだ」と反発する人もいる。そう、つまりそれがまさに、感情で情報を遮蔽する行為である。
 成功したから言えるって、当たり前ではないか。もちろん、失敗しても言えるが、言い訳やひがみに聞こえるだけだ(これも、また感情的遮蔽である)。成功するまえ、失敗するまえには言えないし。

 「スカイクロラの」森博嗣として一躍有名になった為に、最近ブクマの登場回数が増えている様子。今回の文章にも結構批判的なものが寄せられていて「バカなの?」というものもあった。いずれにしても「成功している」本人からすれば、他人から見て「バカ」であっても、どうでも良い批判ではあるし、何よりも上記の文章を読めば感情的な言葉で批判すること自体が無に等しい(全文章が感情的だと敢えてやっている、としか思えないけれど)。
 感情を消すな、とは何処にも書いていない。どちらかと言えば森博嗣は人間の感情的な部分を尊重する人間だと、僕は勝手に思っている(だからこそフィクションを書いているのだと、これまた勝手に思っているが、多分に人間的な部分を押さえてないとフィクションというものは売れないんじゃないか、と思っている)。感情は必要だろう。何かを知りたい、聞きたい、そんな好奇心や興味は感情から生まれるものだ。問題はインプットとアウトプットからどれだけ意識的に感情を抜けるか、もしくは意図的に盛り込むかという、コントロールだと思われる。インプット時のバイアス修正を、客観的に行える他の視野があるかないか。アウトプット時に事実と私論の分別が明確かどうか。たったそれだけの話だろう。上記で使用される「データ」という言葉には、バイアス修正をしてくれる客観的なデータという意味合いが多分に含まれている。つまりはその「データ」の蓄積ができない人間は、バイアス修正ができぬまま、客観を受け入れられずに「損をする」というものである。
 繰り返しになるが要は感情のコントロール範囲の問題なのである。以前、ジョハリの窓、というものを引用したことがあったが、自分の知らない自分を受け入れられるかどうか、上記の様な言葉を聞いて「なぜ」自分が感情的になるのか、といった目線があるかないか、たったそれだけの事である。感情的になった自分を疑える用になったとき(良く踏みとどまって考えるというが、でもやっぱりムカツク、で済ませてしまったら一緒だと思うが)、自分は何を参照して今の感情を抱いているのか距離を置けたとき、人は「損をする」ことなく新たな参照データを手に入れられるのではないだろうか。