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最近は写真日記。

電車男とエルメス女

 2ちゃんねるで話題になったこの話し。要約すると秋葉系男子が電車で絡まれている女性を救ったところから、その女性に恋をして、その恋の紆余曲折をリアルタイムで2ちゃんねるに書き込んでいったというもの。最初は電話を持つ手が震えてその彼女に電話をすることができず、しかもエルメスも知らず、美容院にも行ったことがない青年が、2ちゃんねる仲間に支えられて成長していく。2ちゃんねるだからフィクションの可能性もあるが、これをフィクションでやるだけの労力と才能があったら、本1冊書けてしまうだろう。それにある意味下手な恋愛小説よりも面白い。
 脱オタクを目指して成長していくわけだが、僕の中では別にオタクでも良いんじゃないのかと思う。僕は自分をオタクだと思っているし、このブログのカテゴリーを見れば誰だってこれを書いてる奴はオタクに違いないと思うだろう。「っていうか、オタクみたい」なんて言われても「いや、オタクだから」と返答するし、アニメと漫画が大好きですって公言している。秋葉原も好きで、時間があればいつでも行きたいし、中野のブロードウェイなんて本当に好みの場所だ。
 誰だって好きなものがあればそれに熱中するだろうし、はまるだろう*1。結果として誰よりもその情報に長けるわけで、言ってしまえば人間、何かに対してオタクなわけだ。それがファッションだったり、音楽だったりすると何故か他人には引かれないが、アニメだったり漫画だったりすると引かれるわけである。中には「俺はファッションに興味があって、それに金を使ってるけど、お前らみたいに同人誌買い集めたりしねぇ」なんてことをいう人もいるが、僕の中ではセンターGUYコミケに居る人も車の改造とかする人なんかもカテゴリー的には同じだ。
 どうもオタクという言葉が安直に使われ過ぎている気がする。何かに専門性も持っていたりすると直ぐにオタクだと言うが、そのオタクという定義には幅があり過ぎる。例えばゲームオタク。僕は中学の時から地元ではゲーマーと呼ばれていたけれど、秋葉原のゲーセンに行っても負けることはない。というより、秋葉原にゲーマーは居なくて、実際は新宿とかのゲーセンの方がゲームの上手い人は沢山居る。しかし実際にゲームオタクとかゲーマーとか一般に認知されているのは秋葉に居る人たちだ。ちなみにアニメや漫画の話しを、秋葉に居る人たちとしたとしても、一歩も引く気はない。やはりアニメ・漫画オタクにしても、もう秋葉には居ないのではないかと思う。ある意味秋葉に居ることがステータス化している人たちだから、そういう意味で正に渋谷のセンター街と同じだ。
 最近ではオタクという言葉は90年代程毛嫌いされなくなったけれど、その分、「自分のテリトリー外の知識を持っていて、それでいて何か倫理的に嫌悪感を抱く」人たちに対して総称的に使われることが多くなった気がする。モー娘。が好きでもオタクだし、ガンダムが好きでもオタク。モーヲタとかガノータとか。東浩紀のブログでもオタクの定義について議論が交わされていたけれど、やっぱりこの言葉の定義はあやふやなのかもしれない。
 電車男エルメス女を読んでいて、気づいたことが一つ。2ちゃんねる電車男を励まし続ける2ちゃんねらーの恋愛に対しての考え方が、少女漫画化しているということ。それも古き良き時代の少女漫画であって、恋することに恋をしているような書き方であった。最近の少女漫画*2はどちらかというと、純恋愛ものというよりも現実的なものが多い。つまりは従来少女漫画で排除していた汚いものが、今では一般的に少女漫画の一要素になっていて、それを読んでいる読者も冷めている部分がある。しかしこの2ちゃんねるに書き込みをしていた人々、感動した人々はどちらかというと純少女漫画の中の恋愛観を目指している気がしたのだ。

*1:もちろん例外もあるだろう

*2:僕が読んでいるものだけかもしれないけれど