apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

どうして人はPCを作ったか:何の根拠もございません

 「こみゅにけーしょぉ〜ん!」id:ain_ed:20040921の中で「つまり僕は言語を尊重して用いているし、互換性もあるが、データ交換の際にはもろく損傷や読み取りエラーを起こしやすいと感じている。人間がPCを作った理由はそこにあると僕は考えているけれど、話しが逸れるのでやめておく」という前振りがあったので、思いつきの話し。
 PCを日常的に使用する様になって、「でも何で人間はPCを作ったのだろう?」という疑問にブチ当たった。2001年宇宙の旅では人間なんてコンピュータを生み出すための通過点でしかないと扱われていたり、ターミネーターにしてもマトリックスにしてもそう言う視点がある。
 人間の言語は互換性があるが絶対的な再現性はない。PCではデータは低確率でエラーを起こすものの、その再現性は信用に足るものである。例えばA→B→Cと人間が伝言ゲームをした場合、その本質は変化しないまでも、言葉そのものは変化する可能性が高い。また本質自体も変化する危険性もある。しかしこれをPCで行った場合、フロッピーでもCDでもネットワーク上でもその方法は構わないが、データの劣化は起こるものの本質も言葉も変化する可能性は圧倒的に低い。
 人にはそれぞれ個人的な記憶があるが、これは表面的には遺伝し再現されない*1。がPCであればクローンを作るのは容易い。もちろんロットや相性などで個体差が出ることはあるが、OSが立ち上がる限り、データの再現は可能だ。
 例えば攻殻機動隊。僕はイノセンスをまだ観賞していないが、「作られた人格と作られた記憶」というものが電脳にコピーできさえすればそれを個性と呼ぶことができるのかもしれない。ここにゴーストが入ってくるとややこしくなるけれど、ここではそのシステムだけに着目したい。
 PCはCPUやチップとボード、メモリにHDに依って処理能力が進化する。欠けているのは意思である。もし人間がそういった身体を持ちえたら、言語なんてまどろっこしいものは必要ないのだろう、といきついた。
 つまりテレパシーがあれば、イメージ、映像などで言葉にしなくても他人とコミュニケーションができる。もちろん人間にはそんな能力がないからこそ言語能力があるわけだ。そしてその言語能力は人それぞれに発達するから差が生まれる。差ができるとコミュニケーションが取り難くなり不便性を感じる。だからこそ、人の手で「人造テレパシー」を作らなければ成らなかった。もしくは「オルタナティブテレパシー」。それがPC。PCという道具を介せば、他人の持っているデータは間違いなく再現される。動画も写真も。また情報の劣化はあるものの、人間の記憶よりは脆くない。情報の蓄積は用意で、記憶媒体さえ無限にあればいくらでも蓄積できる。つまり人に話して聞かせ、教える時間を確実に削減できる。
 人間が言語能力の限界に近づいたからこそ、PCを作ったのではないか。PCというコミュニケーションツールこそが、「進化の過程が見られない」と言われる人間の進化などではないか?
 なんて事を10代の時に思ってみたり。当時友人に話したら、「パソコン?ああ、人間が計算すんの面倒だったからでしょう?」と一蹴された……。でもこのまま攻殻機動隊の様な世界に成りえたとしたら、人間とPCの統合もありえるんじゃないだろうか。

*1:遺伝子のデータとして、もしくは潜在意識としてはコピーされるのだろうが