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最近は写真日記。

過去ログを読まずに、歴史を繰り返す

 2chでは、既出の質問をした場合必ず「過去ログヨメ」と返される。特に2chに限定しなくても、通常サイトの掲示板にしても「過去ログ」を読んでからの質問は基本だろう。少なくとも掲示板で質問をする時というのは、「自分で調べつくした結果、どうしようもなくて書き込む」というのが使い方としては無駄が無い。調べて直ぐにわかるようなことを、幾度となく同じ掲示板で繰り返していては、「調べても本当にわからないこと」を聞ける機会が減ってしまう。
 人によっては「人に聞いた方が早いから」という方もいるだろうが、街中で道に迷って、気軽に道を聞くようには「自分が望んでいる情報」は簡単には手に入らない。いくつかの例えを出してみようか。
 例えばライブ。それまでは別段興味の無いアーティストのライブに誘われ、断る理由もなく、何となく行ってみようかという時。その際に、そのアーティストのCDを事前に聞いたか聞いていないかで、ライブの楽しさは変化する。
 例えば著名な作家に会える機会があったら。その作家の作品を読んでいるから読んでいないかでは、会話の内容はかなり変化する。
 例えば有名な教授に会い、指導をしてもらいたい場合。その教授の論文やら書物やらを予習しておくのは学生の基本だろうか。
 音楽CDは誰にでも購入することができる。本も誰にでも購入することができる。論文も公開されているだろう。一般的であればあるほど、どれも手に入り易く、専門的に成れば成るほど手に入れ難くなる*1。絶版だったり、発禁だったり。
 人に聞いて10を理解できるのか?と言えば、これもその人の予習具合による。例えば最初に上げた例の様に。道を聞くにしても、その場所の地図を前以て見て知っているか知っていないかでは、理解度に差がでる。これはコミュニケーションにおける理解度、もしくは双方向情報伝達による関係性の変化とかではなく、一方的な「教える」→「聞く、学ぶ」という情報の移動という意味での理解度である。理解度というよりは、「教える」→「聞く、学ぶ」行為を1から始めるのか5から始めるのか、その始点から終点への距離感と言った方が良いのか。
 過去ログを読まずに、既出の質問を繰り返すことによって、停滞もしくは退行が生じる。ループと言っても良い。これは「歴史とか嫌いだし、興味無い」という感覚とは少し違うだろう。「歴史が嫌い」だとは言いながらも、「興味ある」ことに関して学ぶ姿勢があれば、嫌でも「歴史」が入り込んでくる。大概にして、本当に「興味ある」ことに集中できる人間は、自分がいつのまにかそのことに関しての歴史、もしくは文脈を学んでいることに、気がつかないだけだ。
 問題なのは「興味ある」フリをしながら、自分で学ぼうという姿勢が無い場合。「誰かに聞けば教えてくれる」という場合、「質問すべきこと」が把握できていれば良いが、「質問すべきこと」さえ見えていないと、答える方は何も答えられない。結局質問に答えようとすれば、1から10まで話さなければならなくなる。
 人類の歴史どころか、人の一生もそんな様なものなのかもしれない。いつも同じことの繰り返しで、自分が経験し思い感じたことは、結局過去の誰かや同時代の誰かが同様のことを既に感じたことだったり。スパンを長くしても、人間のやることに大差はないし、同じ過ちを繰り返して成長が見られない。人は歴史に学べないことが多い。それは過去ログが膨大にあり過ぎる反面、それを読み解くのに時間がかかり過ぎるからかもしれない。だけど、Web上の掲示板くらいであれば過去ログは読めるはずだ。もし自分が本当に「興味ある」ことに向き合おうとしているのであれば、「誰かに聞けば教えてくれる」とか「時間がない」とかで学ぶ姿勢を蔑ろにするべきではない。
 前提条件が私的過ぎてわかり辛い上に、まるで整理されていないからパラグラフ間の繋がりに飛躍があり過ぎる……。ちなみにここでの質問に答える、話すという行為は、まさに「教える」→「学ぶ」行為だろう。コミュニケーションとしての相乗効果というよりは、情報伝達に特化した行為に近い。要するに人間性とかに触れるような会話ではなくて、道を聞いたりするような一般情報の移動。やっぱりわかり辛いな。すみません。

*1:この逆もある