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最近は写真日記。

卒業式と入学式

 よこはまぐらしさんの「[etc.]卒業式」id:trolley:20050306#p3、を読んで、やはり別れと出会いの季節は春が似合うと感じた。僕は基本的に式ものに出席しない人間なので、あまり思い入れがないのだが、振り返ってみるとそれなりに思い出すものがある。
 幼稚園の卒園式では、歌を歌った記憶があるのだが、それが仰げば尊しだったのかは定かではない。保母さんが号泣しているのをボーっと見ていた気がする。あの頃は小学校に対して憧れが強かったので、兎に角幼稚園に行かなくて良いってだけでウキウキだった。式の後は、仲の良い家庭同士でうどん屋に行った気がする。
 小学校の卒業式は、あまりに予行練習を繰り返すので、本番では既にウンザリしていた。「在校生の皆さん」とか言いながら、「これ、何回目だ?」と数えてみたり。校歌でさえ替え歌を歌っていた。式の後はクラス毎に食事だったと思う。
 中学校では、小学校のトラウマがあり予行演習から全くやる気無し。式の途中で居眠りしていた。女子は泣いてる子が多かったが、男子はあっけらかんとしていた。式の後はそのまま帰宅して、昼寝した。
 高校の卒業式に至っては、休学したため学年が違うので、まるで思い入れが無く、式が半分終わる頃に出席。最後まで座って居られず、式を抜け出して職員室でお茶を飲んでいた。式の後は友人達とゲーセンに寄って帰宅。
 大学の卒業式が1番まともだったかもしれない。式場が千葉で、友人達と待ち合わせて出席。ただ大学でもダブっているので、同じ学年にあまり思い入れがない。その後はまた新宿に戻って謝恩会。不味くは無い料理を食べて、写真を撮って帰宅。
 卒業式はこれだけ記憶に残っているものの、入学式については大学の時の記憶しかない。この時も遅刻して式場に入れず。外で立ち聞きしていた。ただ入学式の記憶は無くても、春の訪れ、桜の開花と共に新しい環境への期待感は憶えている。
 例えば小学校入学前は「小学校1年生」に成ることに憧れを抱いていた。ケンカばかりしていて、負けた時には何故か「お前なんか、1年生に成ったら泣かしてやるんだから(泣)」とわめいていた気がする。中学校入学前は、小学校の頃から好きだった女子に告白でもしようかと思っていたし、高校入学前は、とりあえずSEXの事ばかり考えていた気がする。大学入学前はやっと考古学が学べるんだと興奮していた。ちなみにペルージャ大学入学時は、日本と違って10月始まりなので、そういったセンチメンタリズムは特に感じず。やはり「春・桜は何かが面白いことがありそうな予感をもたらしてくれる」というすり込みがあるようだ。
 式ものが好きじゃ無くなったのはやはり小学校の時の予行練習。誰の為の卒業式だか見失っているほどに練習は繰り返され、何故か点数とか付けられた気がする。「今日は〜点でした。本番では100点を目指しましょう」みたいな。意味がわからない。それ以上に本番でのお偉い方々のお話しはまるで面白くないので、ただ眠くなるばかり。式の意味が見えなくなったのはその頃だった。もちろん成人式にも参加していない。
 イタリアには日本の入学式や卒業式というものがない。授業は突然始まるし、卒業もそれぞれバラバラで各自でパーティを開く。そのパーティは余計だが、式で区切らないやり方は僕には合っている。例えば部活の送別試合は面白かったし、研究室の送別会の方が「卒業」を実感できた。わざわざ顔の見えない人間を集合させて行う式よりは、各自で区切りを付けるやり方の方が僕の好みではある。森博嗣が「結局日本人は、年齢でしか人は計れないということを、成人式が証明している」と皮肉っていたが、冠婚葬祭は別にしても、僕は日本の教育課程において卒業式や入学式の価値を見出すことができなかったのである。