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最近は写真日記。

続・繋がりと関係と

 前回の「繋がりと関係と」id:ain_ed:20050314で、トルネコ改めkojiさんから

「人間関係って難しいよね」と愚痴り、そのあたりの意見を探り合うことで、彼らの間の人間関係を(再)構築しているのではないかと。

 というコメントを頂いた。kojiさんにはペルージャで日頃からお世話になっており、ある意味僕の指導教官みたいな存在である。特に西洋史関連においては、いつも勉強させてもらっている。このコメントに関しても、後日話しを伺うことができて、「そうか、確かにそうなんだよなぁ」と思うところがあった。
 僕の解釈が間違っていなければ、前回のコメントの意図は

「人間関係って難しいよね」というキーワードをネタにし、場を作り上げ、そこから人間関係を(再)構築するところに意味がある

 ということだった。確かにこういう状況には良く出くわす。敢えて「難しい」と強調して意見を出し合い、相互に妥協点を探し合う。kojiさんのご指摘はご尤もで、ついつい頷いてしまう。
 ただ前回の話の前提条件になった状況は、少しばかり異なるものだった。「人間関係って難しいよね」と話していた友人であるが、彼の人の人間関係の築き方は、僕にとっては少々受け入れ難いものだったのである。例えばXという人物が何かに悩んでいたとする。すると彼の人は自分のコミュニティに招集をかけ「Xがおかしいんだけれど、どう思う?」とその本人に相談もされていないのに、Xを覗いた友人達に話しをしだす。つまりそれをネタに場を提供し、自分のコミュニティ内の人間関係を構築していくのだ。
 他にも自分のコミュニティにはまるで関係の無い人間関係にまで自ら首を突っ込み、それをまた自分のコミュニティに持ってきてはネタにして、人間関係を深めていくようだ。彼の人は善意を以てそう行動しているのだろうが、自分のコミュニティに問題提示をしたところで、結局のところは彼の人の意見で締めくくられ、彼の人がもたらした情報だけで、対象に接する態度がある程度決められてしまっている様だ*1
 kojiさんの言う「人間関係って難しいよね→人間関係を(再)構築」という流れと差違があるとすれば、彼の人の場合は「直接・間接関わらず、他人の関係に介入し、そこからネタを引き出し、その当人とでは無く、他の人間との関係を(再)構築する。そのコミュニティ内で自分と違った意見が出ると、[人間関係って難しいよね]と会話を閉じてしまう」のである。こういった人間関係の築き方はもちろん彼の人ばかりでは無く、集団生活をしていれば、そういう方法を取る人はいくらでもいるのだ。僕はそういった生活の中での自己防衛策としての極端な例として「関係はいつでも切れる」と書いた。
 その事について後日kojiさんから新しい視点を頂いた。「確かに関係は切れると思えるけれど、実際[関係が切れる]という事実が、その関係に新しい関係を与えてるとも言える。例えば彼氏と彼女が別れ、関係が切れたとしても、その切れた関係というものがお互いに影響しているのは事実でしょう」と、流石はkojiさん!と言いたかった。この「続・繋がりと関係と」は前回の「繋がりと関係と」の前提条件を書こうと思ったものだが、kojiさんの話しを聞いて、僕自身既に彼の人に影響されているという事実を思い知った。僕はこの記事において彼の人をネタにし、それに依って他の人間関係を(再)構築しようとしている。つまり彼の人と全く同じ事をしているのだ。しかも無意識の内にである。
 またまた1つkojiさんから学ばせてもらったのである。それがkojiさんの意図していたことなのかは別にして…。

*1:決められてしまうというのは、もちろん先入観程度であって、彼の人の価値観に支配されているという意味ではない