apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

ブログのネタと日常

 id:KEN_NAITO:20050320#p1の中で、

日記でナニを書いていよーが,普段のコミュニケーションは普段のまま,日記で書いた内容が話題に上るということはメッタになかった.

 と書いているが、これは僕の場合とは異なる。ペルージャで仲の良い友人にはURLを教えてあるので、会えば必ずブログの話題に成る。成らなくても「昨日の記事読んだ?」と、僕の方から話題をふるので、強制的にその話題に成る。と言っても、僕がURLを教えた人間は、ペルージャに10人も居ないだろうから、本当に限られた範囲の話しではある。というのも僕が個人的にURLを教える人間は、既にある程度コミュニケーションを取った人間に限られているからだ。僕のペルージャでの日常的なコミュニティは本当に狭い。「知り合いとか凄い多いですよね」とは言われるものの、普段からコミュニケーションを取っている関係はおちょこの裏並の狭さである。
 にゃんにゃんチャーくんやトルネコ改めkojiさんは会えば必ずブログのネタに触れるし、id:barmarikoは、はてな仲間なので自然とそういう話題になる。それ以外の友人の場合は、挨拶代わりに「昨日の記事、読んだよ」となるのだ。そのほとんどの人がコメントを残してくれているので、コミュニティの狭さが知れるだろう。
 はてなダイアリーを始めた頃は、もちろん日常的な会話にブログのネタが出てくることなど稀だったが、最近ではブログのネタから日常の会話が始まることが多いのだ。つまり「ネット上での新しいコミュニティ」を目指してはてなダイアリーを始めたものの、結果として既存のコミュニティにも影響を与えている。
 それがいつの間にか当たり前に成ってしまって、入れ替わりの早いペルージャにおいては、ブログを自己紹介代わりに用いたりもする。手っ取り早く自分を知ってもらう為に、コミュニケーションをして興味を持った対象にはブログのネタを例にして、そこから話しを膨らませたりするのだ。
 逆に僕のブログをまるで読んでいない人々とはコミュニケーションが曖昧に成る場合がある。もちろんブログの存在を知らない人間とはしっかりとコミュニケーションを取ろうとするが、予めコミュニケーションを取って、URLを教えた関係の場合である。これは僕の怠慢なのだが「結婚とか、どうなの?」と聞かれると、「もう何度も説明したよなぁ」という気になってしまい、「何故読んでないのか?→それ程興味がない→コミュニケーションをそこまで取る気がない」と無意識に働いている様でもある。「何様なんだ」とつっこみたい。
 つまりKENさんの日常とは違って、僕のペルージャでの日常では、ブログのネタと日常がしっかりと循環している。例えばkojiさんとのコミュニケーションは良い例で、ブログのネタから僕の視点の甘さを指摘された。ただこれは本当に最近になってからで、やはり1年を通して続けた結果でもあるのだろう。またペルージャの日本人コミュニティという特殊性も重要な点だろう。これが日本での日常であったならば、まるで違ったものに成っていた気はするが。