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最近は写真日記。

読書スタイル

 図書館にはあまり行かない。行くと欲しくなって、あれもこれもと手を出してしまう。手を出すというのは、奥付けをメモって本屋に買いに行ってしまうのだ。小学校の時に、「図書室に行って本を読みましょう」という時間があったが、人から強制される読書時間にまるで集中できず、スライムを描いた紙飛行機飛ばしては、ドッジボールのことを考えていたような。
 子供の頃はどちらかというと、人が居る場所での読書が好きだった。例えば実家の店先で、店の手伝いもせず、ずっと読書していた。ただ学校には本を持って行くことはまず無かった。部活ばかりだった高校の頃は、枕元に本が置いてあって、読書をする時間は就寝前だった。朝夕の登下校で、電車内で本が読めれば良かったが、ラッシュで本を読む隙間もなければ、乗っても1駅だったりするので、音楽だけで十分だった。
 部活が落ち着いた高3の頃は授業そっちのけで読書。オーストラリアから帰って来たばかりで、日本語に餓えていた。おまけに当時つき合っていた彼女が、編集の専門生だったので、その影響もあって読書量・幅がかなり増加した。それまで純文学ばかりだったものが、手当たり次第に手を出し始めた。念願の自分だけの部屋も手に入ったので、本は増えるばかり。
 大学に入ると電車通学時間が往復約3時間あり、おまけにラッシュに合うことも無いので、音楽と読書がセットに成った。授業中は必修以外はしっかり聞いていたが、必修の授業はほとんど読書タイムだった。図書館に行くのはテスト前に参考文献を見に行くくらいで、やはり利用せず。研究室の資料は借りたまんまに成っているが、どうも図書館から「借りる」という行為も自分には合わないらしい。
 自分の部屋が与えられてからは、読書は自分の部屋で。勉強机・PC用の椅子以外に、必ず読書用の椅子があって、そこで本を読む。後はロフトで、寝転がりながら本を読むが、これはソフトカバー本しかやらない。ハードカバー本は重くて、うっかりうつらうつらすると、顔に当たった時に痛い。痛いだけならばまだ良いが、せっかくの読書→睡眠という至福の状態が壊れてしまう。
 図書館や漫画喫茶をあまり利用できないのは、そこにあるものが「自分のものではない」という意識が邪魔しているからだろう。僕は人から物を借りるのが上手い方では無い。「人のもの」という意識が強くて、どうしても落ち着かないのだ。またそういう部分で親に甘やかされて育ったという一面がある。
 実家の店の目の前が本屋だった。20時までは1人で外で過ごさなければ成らない僕にとっては、何かしらの「遊び道具」が必要だったのだ。ゲームだったり、お菓子だったり、アニメだったり、友達だったり。何をするにもお金が必要なのだが、その中でも本だけは、親は小言を言わずに必ず買ってくれたのだ。そのため毎日本屋に通い、立ち読みする事も無く、本を購入しては、店先で読んでいた。読み終わるとまた本屋に行き、新しい本を購入する。そうして育った結果が、「本は買って読むものだ」という意識に支配された僕なのである。