apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

NOT FOUND

 第45回衆議院選は民主党の勝利となった。というよりは、アンチ自民の勝利で、結果的に選択肢がなかったから民主という着地だろうか。投票率も70%近く、ここ最近では最高だという。が、相変わらず男女間での投票率の差はあり、選挙は未だに「男」的なものなのだろうか。
 「国家・政治が男。家・生活が女」そんな性差が未だにあるんだろうな、とイタリアを思い出しながら日本と比較をしていたら、全然違うところに行き着いた。ミスチルのNOT FOUNDだったと思う。「僕はつい見えもしないものに頼ってにげる 君はすぐ形で示してほしいとごねる」という詞があった。
 僕は相変わらず「人生の快楽を何処に求めるか」を人の判断基準にする癖がある。つまりは物欲か精神欲か。金で買えるもので満足できる人生など興味がないと僕は思うが、「あの人は、煙草も吸わないし、お酒も飲まない、女遊びもしない、賭け事もしない、それで人生が楽しいのか?」と相変わらず思われる傾向にある。大人の遊びとは要するに、お金を如何に使うか、ということを言いたい人が多いのだが、僕からすればそれは大人の遊びではなく、「大人(市場)に遊ばれてる」状態であって、滑稽だなとしか思えないのである。
 遊びの幅=快楽の幅、という考えは以前からずっと変わっていない。だから別に快楽を求めないのであれば、そんな幅は必要ない。が、残念ながら僕の中にはその快楽の幅で人を見る癖がある。「この人はどこまで人生を遊べているか」そう穿ってしまう。
 ともすれば先に挙げたような棲み分けが僕の中にあるのかもしれない。国家・政治という未来に没頭する男と、未来より現実の生活を守ろうとする女。(※あくまでも上述の例)前者が無形で、後者が有形である。有形の物は、金で買えると思っている。金で買えるものは誰でも手に入れられるとも思っている。要するにつまらないものと行き着く。逆に無形のものは無限の楽しみがある。形がないからである。そこに快楽を感じる人間に僕は関わりたいと思っている。
 短絡的に書いたが、その判断基準は変わっていない。が、上記の前提と推論には明らかな矛盾、というより錯誤がある。

  • 1つ目は、現実がなければ未来はない、ということ。
  • 2つ目は、有形・無形の基準と、有形だから金で買えるわけでも、無形だから金で買えないわけでもない、という現実。
  • 3つ目は、無形を追い続ける人間自体は有形であり、その人間に惹かれる以上、僕は結局の所、有形に引かれるというねじれである。

 言葉にすると何ともくだらないトピックである。それこそ無形を有形に当てはめる様な、無理矢理、型に当てはめる様な、そんな内容に仕上がる。表現力の無さが最大の原因であろう。端的に表現すれば、とても面白く過ごした1日は、日記にしてみると案外と毎日の同じ様なことをしていて、でも本当にその1日は他の日とは比べものにならない位に面白かったのに、日記には「とても面白かった」としか残せない状態、とでも表現すれば良いのか。
 毎日毎日色々な人に出会いながら、毎日毎日同じ事を話しながら、それでも「この人は面白い」と思える瞬間はやはりあって、よくよく結局後々差異を抽出してみると、その人がどれだけ「人生を遊べているかどうか」にしか辿り着けないのである。一般職にあって、仕事上でその快楽を求める人がいるけれど、仕事の役割はあくまでも代替が効く。オンリーワンにしかできない仕事は、少ない。「この仕事は自分にしかできない」という思いで労働に就いているとしたら、視野が狭いか、もしくは労働哲学に犯されているか、仕事が好きなのか、いずれにしても雇用側からすれば、使いやすい労働力でしかないだろう。なぜなら一般職にあって、オンリーワンであれば、起業する必要性が産まれるからで、逆に捉えればオンリーワンでないからこその一般職なのである。
 じゃあ一般職と専門職の違いは?という方向に向かうが、その違いはIT革命によってある程度差異化されたし、結果的に収入も2極化されたと言える。PCに依って代替された仕事のほとんどが一般職である。PCを「使えれば」できる仕事が一般職とも言える。PCを「使役する」仕事が専門職である。もしくはPCにはできない仕事で、誰にでもできる仕事か、それとも専門性があり、かつスキルが必要かによってカテゴライズされるのである。
 話しが大分逸れた。僕は多分「男」を計っているに違いない。国家・政治を語れずに、足下ばかりの人間は、僕の中では男として扱われない(国家・政治を語る、は具体ではない)。有形に囚われ、遊ばれている人たちは、「わかっていても」興味の対象ではないのである。
 そんな頭から尻尾まで、全く一貫しない捻れだらけの内容を一言で言うならば、「魅力を感じない」というだけである。その理由は「話していてつまらないから」に他成らないのだけれど、「何で?」と聞かれると、上記の理由を差し出すしかないのである。厄介だ。