apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

暴露:プラネテス

 この回を以て、ハチマキ臨界点到達である。「全部俺のものだ。孤独も苦痛も不安も後悔も。もったいなくってなぁ、てめーなんかにやれるかよ」という言葉は孤高に近づきながら、そこに達せないハチマキの憤りが伺える。プラネテスには3種類の愛へのアプローチがある。ハチマキ型、タナベ型、そしてロックスミス型のアプローチである。
 コメントでも頂いた様に「ハチマキが孤独の先に愛を、タナベは愛の先に孤独を見た」のだろう。結果としてハチマキとタナベは繋がりあえる。彼らの感じてる愛の延長線上にあるのが、ゴロウやギガルトが示す愛だろう。
 アニメ版では描かれなかったロックスミスの愛。彼は、ハチマキやタナベと違い、正に孤高の人である。ハキムがこれに近いだろうか。当初ハチマキが無意識に目指していたものが、このロックスミスの見ている愛だろう。原作でもロックスミスの生い立ちが語られていないので、どの様にしてそこに辿り着いたのかはわからない。ただ原作4巻のラモン博士の言葉の限りでは、学生時代には既に現在のロックスミスに近かった様だ。
 ハチマキやタナベが辿り着いた愛への過程がアニメ版の主軸である。原作の優れている点は、その愛だけでは終わらない所にある。真の愛に近づこうとしているロックスミスの視点。それがアニメ版に欠けているのだ。一般に受け入れやすいのはやはり恋愛から発展する愛への視点だろう。ロックスミスの様な研究者気質の愛は、オタクを蔑視しようとする社会では受け入れ難いものがあるのかもしれない。これはある意味、電車男の成長過程の様なものかもしれない。